タイで知識と現実が一致したユーリカ!

知っているけれど、頭の中にあっただけのものが、実際に自分の目で見たものと、体で経験したことに一致すると、すごく嬉しいんだということを実感した。アハ体験。

 

この前書いたこの本で、初めて読んだ時、一番興味深かったのは、著者の青木さんが、実際に僧になられた時の話だった。

異文化理解 (岩波新書)

異文化理解 (岩波新書)

 

タイは、仏教が国にとっても国民にとっても大きな柱となっていて、宗教としての面だけでなく、倫理的にも社会的にも、タイという国を支えている。 毎朝黄衣を纏った僧が托鉢に歩き、人々は毎朝、僧たちに食べ物を捧げる。それを365日続けるなんて、わたしには考えられないことだけど、タイではそれが当たり前らしい。

「国民皆僧制度」とまでは言わないものの、二十歳を超えた男性は、一度出家して徳を積むことが当たり前で、それは強制ではないが、彼らにとっての誇りであり、親の願いだったりする。タイでは、僧になるというのは本当に尊いことなのだ。

 

たとえば、1973年にタイで起こった、学生VS軍事政権は、表面上は終結した後、学生の指導者と警官の指導者は、それぞれ出家して僧院に入ったらしい。それは、僧院というのが絶対に侵してはならない聖域であり、復讐や報復とは無縁(出なければいけない場所)だからである。それで許されるなんてずるいと思うけれども、還俗してからもそれは出家前の過去の悪行ということで、お咎めなしなのだそう。

そんなことで許されちゃっていいのかよ…!とわたしは思わないでもないのだが、それは日本人のわたしの感覚であって、わたしが思っていた何百倍も、タイは仏教を礎として成立する国なのだろう。

 

夏に3泊4日でタイ旅行に行った。初めてのタイ。初めての熱帯。結果的にエキゾチックでエキサイティングな楽しい旅だったのだが、その時のわたしはタイの諸々なんて、正直すっかり忘れていたのだった。

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しかし、どこに行っても目にする僧の姿に、なんかタイの僧の話に聞き覚えがあるな…どこかで見たんだっけ…と、デジャブを感じていた。そして、「あ!」と思い出したのだ。楽しい大学生活に耽り、すっかり忘れていたけれど、あの日、あの時、進路に迷っていたわたしの道筋を照らしてくれた本。あの本で読んだのだ!それに気付いた瞬間は、過去最大のカタルシスと言っても過言じゃないかも。あの時の気持ちが、2年という歳月を超えて、今に繋がった!と思えた。

 

この本を読んで印象的だったのは、息子が僧になったお母さんたちの涙の理由。

タイ仏教ではブンを積むと言いますが、それは徳を積むことです。一般に、なぜ結婚前に僧になることが奨励されるかというと、それは結婚前に積んだ自分のブンは全て自分の母親に行くが、結婚後に積んだブンは全部妻に行くと言われているからでした。つまり、結婚前の男子は自分の母親のためにブンを積むわけなのです。というのも、女性は僧侶になることができないので、完全なブンを積むことができません。息子はそういう母親の代わりに僧になってブンを積むというわけです。親孝行です。他の人の得度式にも何度か列席させてもらいましたが、最後に息子が黄衣に着替えて僧侶になると、お母さんたちは皆泣くのです。わたしはそれが自分の息子が僧院に入ってしまうので悲しくて泣くのかと思っていましたら、実は嬉し泣きだったのです。

 

そして、「青木保さん」という言葉もわたしの頭の中のフックみたいになってたんだけど、なんと現在、国立新美術館の館長をされているらしい。第二のカタルシス。大好きだよ国立新美術館。ちょっと遠いけど。

宗教に対する価値観も、国と社会の関わり方も、タイと日本では全く違うから、どういう気持ちなのかはっきり理解することはできないけれど、信じるものがあって、お金や即物的な利益だけじゃなくて、目に見えないものや形のわからないものに価値を見出せる。それをみんなが信じられる世界って、なんだか精神的なゆとりがあるような気がする。純粋に何かを尊ぶことができる心って、尊いなあとしみじみと思う。