映画『風立ちぬ』が刺さって抜けない

わたしの住んでいる北欧の片隅の小さな街で、半年以上にわたる宮崎駿10作品の上映祭が終了した。すべてを見ることはできなかったけれど、そこに出かけるたびに、国境を超えて、字幕でも音声でも一つの作品を一緒に見て一緒に笑い心ふるわせられること、日本の作品が遠くの果てで愛されていることに、何度だってじんとした。

初めて見たのは『天空の城ラピュタ』。それまで一度も『ラピュタ』を見たことがなくて、新鮮にジブリの凄さを思い知ったことを覚えている。どうしようもない悔しさを抱えながら走り、そして転んだパズーが、握ったコインをヤケになって投げつけようとして、堪えて、もう一度握りしめて立ち上がって走り出すシーンに。その数十秒にジブリの、アニメーションの美しさが詰まっているような気がした。想像の何倍も切なくて影の濃い物語で、これが始まりだったということに打ちのめされた。 

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そして、きのう最終作である『風立ちぬ』を見に行った。当時これが最後の宮崎作品と謳われ、実話を元にしたストーリーということで話題になったが、蓋を開けてみると賛否両論だったことを思い出す。日本公開時は見そびれてしまったので、一体どんな物語なのだろうと身構えて出かけた。東京大地震結核療養所、戦争、どれも嘘みたいな本当のことであることに序盤から改めて沈みつつ、それがジブリで、宮崎駿の手で描かれているということに驚いた。これまでファンタジーの中にリアルを映し出してきた彼が、リアルの中にファンタジーを、言い換えれば、夢を投影しながら現実そのものを描こうとした、ということ。

夢は便利だ、どこへでもいける

胸が痛むようなシーンでも、クスクス笑う海外の人がたくさんいて、笑っちゃうような歴史が日本の現実であり過去であり、そして未来でもあるかもしれないんだよな、なんて考えていた。どこへでもいける夢を見ながら、どこへもいけない現実を生きる、主人公と菜穂子のやるせなさが切ない。

 

風立ちぬ』、本当によかった。残酷で、そしてどうしようもなく美しい映画だった。違和感を感じる場面もあったけれど、それでもこの映画に流れる周波数はわたしのと同じだった。幸せだった記憶を後から思い出して、やりきれなくて泣きながら微笑むみたいに、映画を見ながらいつかの余韻を追体験していた。菜穂子が東京にやってくるあたりから、もうずっと、涙が止まらなかった。

空に憧れて始まった夢が、命を乗せて瓦礫の中に終わる。風に吹かれて始まった恋が、風の中に消える。世の中も、人間も、皮肉と矛盾でできているという当たり前の事実。それは、強い反戦感情を持ちながら、戦闘機に憧れ続けた宮崎駿という一人の人間の中の矛盾であり、愛する人と共に生きたいと願いながら、結核患者の前で吸う煙草。菜穂子の命と煙草を天秤にかけるのではなく、ただ、愛する人と手を繋いだまま煙草を吸いたかったのだと想像してしまう。そして、菜穂子はそれを見たかったんだろうな。

僕らは今、一日一日をとても大切に生きているんだよ

一緒に生きたい、という二人の願いは、共に生きる時間の長短ではなく、その密度にあった。何が正しいことで、何が許されるのだとか、そういう世の中の常識とは無関係のところに存在する場所で、二人は手を繋いでいた。

こっちに来てから読んだ『The Fault in Our Stars』のことを思い出していた。0と1の間には無限の数字がある。ガンと闘う若い二人が、一緒に生きることのできた時間は短かったけれど、数えるだけの日にちの中には、確かに永遠があった。

生きているって、素敵ですね

陳腐な言い方をすれば、この作品は残酷さを描きながら、「生きる」ということをまるごと肯定する物語だ。そして、どんな悲劇が起こっても生きていかなければいけない人間の、本当の話だった。

美しいところだけ、好きな人に見てもらったのね

どこまでがフィクションか、ということとは無関係に、生身の人間の脚色のない愛を、こんなにも真摯に、宮崎駿は描こうとした。そのことにどうしようもなく感動してしまった。

愛という語られ尽くしたテーマを、言葉を伴わない画の細部に散りばめ、命を吹き込む手腕。風が吹いて、恋とともにスカートやパラソルが膨らむ。好きな人の美しさで、髪が輝いて見える。わたし達は、それを目でも耳でもなく感性で理解することができる。そして、最も驚愕し感動したのは、言葉以外の方法で愛を描くことこそが美学だとされるこの時代に、あれほどの画力と表現力を持った宮崎駿が、「大好き」「愛してる」という、手垢のついた時に陳腐にも聞こえる言葉を、ストレートにアニメーションの中で発話させたこと。すげえ…と思った。最後だと決めていた夜に、「大好き」と言って、相手の体全部をしっかりと温められるように、布団をかける動作を縁側から映したシーン、あれを愛以外のどんな言葉で呼べようか。この作品は、その言葉と言葉以外のバランスが本当に素晴らしかった。

狂気も夢も罪も愛も、どれもほんの少しのバランスの上で成り立つアンビバレンスで、わたし達はそんな現実に生きている。美しいものはいつだって残酷で、残酷さは皮肉にも美しい。それはどうしたって背中合わせで、対立するものでもなければ、どちらかを選ぶことさえできない。残酷を死に置き換えたっていい。ラストの夢のシーンの、「生きて」「ありがとう」そのたった二言がすべてだった。心の底がふっと舞い上がるみたいな、力強い祈りだった。あの絞り出すような「ありがとう」を、わたしは当分忘れられずにいると思う。風立ちぬ、いざ生きめやも。「ひこうき雲」も、よかったな。