『言葉はこうして生き残った』を読み終わった。中央公論社で『婦人公論』や『中央公論』の編集長を歴任された河野通和さんが、新潮社で『考える人』の編集長をやっていた時の同名のメルマガを書籍化したもの。
大学の地下の書架の隅に潜んでいて、こっそりと借りた。静かで、存在感のある本だと思った。読まれる時に読まれるためにそっと地下で呼吸し続けていた本。
澄み渡り、よく響くような一冊だった。静かな心と透き通った気持ちで、小さな星を一つずつ見つけては大事に宝箱にしまうみたいな。一章ずつしっかり受け止めて、たくさんの知らなかった人や歴史にそっと思いを馳せた。
どのエピソードも、河野さんの教養の深さに驚く。対象のチョイスはもちろんのこと、真摯に向き合い、心から尊敬しながら書かれていることに打たれてしまった。「言葉」というものへの信頼と祈り。書評が多く、河野さんのエッセイではないのだが、彼の哲学のようなものを感じた。心がじんわり温かくなるような、満たされる時間だった。
この本を読んで知って、読みたくなった本もたくさんある。
例えば、No.486「本をめぐる旅の記録」の『痕跡本のすすめ』。古本に残された書き込みやメモや傷から、前の持ち主の状況を妄想する、という何ともわくわくしてしまう本。めった刺しにされた本や、挟まれた短歌のメモなど。
No.425で紹介された、茨木のり子さんの『倚りかからず』や『歳月』、彼女について書かれた『清冽 詩人茨木のり子の肖像』。
「個」としてあり続けるための孤独。「個人の完成こそ生きる軸になるものだ」という確信。そして意志の力で「自身を律し、慎み、志を持続して」詩作に向き合おうという姿勢。それこそが、「茨木のり子の全詩と生涯の主題」であり、彼女のメッセージでもある、と筆者は述べます。
”盟友”石垣りんさんへの弔辞の中で「あなたの抱えていた深い寂寥感」というふうに、「寂寥感」という言葉を使って共感を吐露しているように、独りであること、「ただ己の感受性が信じうる手触りのなかで生きること」をつねに拠りどころにした人だったと言えるでしょう。
この章のタイトルは「寂寥だけが道づれ」。そのことにもう深く敬服してしまう自分がいる。なんて美しいんだろう。たった8文字に詰まった、孤独や寂しさ、静けさ、暖かさ、凛とした強さ。
No.642「言葉に託された仕事」
ある女性教師は、難民となって村をあとにする時の心境を語りました。「私は大きな海の中のひと粒の涙になったみたいだった」。
どんなよろこびのふかいうみにも
ひとつぶのなみだが
とけていないということはない
言葉では辿り着けない領域があるのと同じように、言葉にしか辿り着けない領域があるのではないかと思う。
その欠片みたいなものが、この本にはたくさん含まれていたように思うし、何よりこの本が「言葉」というものを何より信じていて、美しくて切実な祈りのようだった。生き残るって、強くて厳しい言葉だよね。