まっすぐなものに弱い日記

5/20(月)

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スープ屋さんでランチした。愛想のいいキュートなおじさんが一人で切り盛りしている、時間がゆったり流れる素敵なお店。体中から力が抜けてふにゃふにゃになっちゃうような優しいきのこのスープを食べた。

 

5/21(火)

一日中試験に向けて勉強した。グループで受ける口述試験で、テーマにもとづく会話のストーリーラインを考えて各々暗記してくるという唯一かつ不毛な手法で挑むことになった。久しぶりにこんなに勉強して、知らない人とグループワークして、仕切ったり意見出したりするのに疲れ果て、信じられないくらいの頭痛に苛まれながら就寝。

 

5/22(水)

今日も一日勉強。そろそろ禿げちゃうんじゃないかな。夜、口述試験を受けた。わたしの名前を覚えていない説を秘かに唱えていた先生が、最後の最後まで本当にわたしのことを覚えておらず、違う人の名前で呼ばれて、訂正するのはもう5回目くらいで、困った顔されたけどわたしの方が泣きたかった。

グループワークとかグループで受ける試験が本当に苦手で、目立とうとするのも人のタイミング取るのも嫌で萎縮した結果、発言の機会を逃し、最後に名指しで指されたのが「ずっと続く本物の愛はあると思う?」という突然ハードル5段飛ばしくらいの質問でフリーズした。そんなこと絶対日本の試験では聞かれないよなー。

 

5/23(木)

冬は日光を浴びなさすぎて軽い鬱になってしまい、毎日10時間ねむらないと気持ち悪くなってしまった。夜が来ないような楽園の夏が来て、日々ハッピーな気持ちでいたけれど、それも躁状態のようなものだったらしく、また毎日10時間睡眠生活が始まった。

忘れ物をして、友達に自転車を借りて家に戻った。信じられないけれど半年ぶりくらいに自転車に乗った。チャリ運が皆無で、盗まれたり毎日パンクしたり自転車屋と戦ったり、いろいろなことがあったなーなんて思い出しながら風を感じていた。

極寒の豪雨の中パンクしたチャリで坂を何キロも登り続けなければならなかった夜の、感覚のない太ももとか、ぼろぼろのマスカラとか、雨に混じった涙とか、今でも鮮明に覚えていて、これまでの人生で一番死に物狂いな自分に出会えた。

夜はポットラックパーティの予定でずっと待っていたけれど、4人中2人が来られなくなって、フランス人の女の子とふたりで明るい夜中にハンバーガーを貪った。

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ふたりのためだけに沈みゆく夕日を見た。

 

5/24(金)

ずっと放置していた因縁の自転車を売った。修理して転売するらしく、自転車で来て、わたしの自転車を片手で支えながら、また自転車で帰っていった。今日も一日勉強した。途中で集中力がぶっつり切れてネットサーフィンしていたけれど、とうとう明日が本番。

 

5/25(土)

朝から正真正銘留学最後の試験を受けた。スウェーデンの試験は、ボリュームがあるからというのもあるけれど。試験時間が4時間とか5時間とかに設定されている。

だから「もう時間がない!とりあえず適当に埋めよう!」とならずに、お菓子やランチを食べたりしながら、最後まで気の済むまで考え抜ける。どこまで追いかけるかも、どこで目処をつけるかも自由。そこが好きだ。わからない問題もあったけれど、なんとかやりきって満足!

 

スウェーデン人の友達と合流して、ランチを食べて、『名探偵ピカチュウ』を見た。前の席の小さな子どもがピカチュウのぬいぐるみと一緒に観賞していて、その横は真剣な眼差しでスクリーンを見つめるポケモンファン男性3人組で、ほっこり空間だった。エメラルドからパール、ホワイトへと辿りながらポケモンにどっぷり浸かっていた小学生時代を思い出した。

 

5/26(日)

カフェで、日本から手紙をくれた友達に返事を書いた。地球の裏側にいようとリアルタイムで連絡が取れる時代に、わざわざ手紙を送ろうと思う心と、それがわたしに向けられているということがどうしようもなく嬉しい。返事を書くの、くすぐったいけど楽しくて、いつ届くかなとか、どう思うかなとか、そういうことを考える時間自体をもらっているんだと思った。

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アフォガードを頼んだら、素敵な器に入ったバニラアイスが運ばれてきてときめいていると、店員さんがスッときて無言でエスプレッソをじゃーっとかけて去っていった。アフォガードの楽しみの半分は、自分でエスプレッソをかけることにあると思っている。

 


菅田将暉 『まちがいさがし』

ドラマを見られない環境なので今更知ったのだけれど、菅田将暉の『まちがいさがし』があまりにも素晴らしくて、心がグラグラ揺さぶられて、呆然と聴き込んでいた日。

間違い探しの間違いの方に生まれてきたような気でいたけど

歌詞だけを見れば「菅田将暉は絶対に正解の方じゃん…」って思う気がするけど、この人のこの声で歌われるこの一節だけで、ああこの人も一緒だ、不安でも苦しくても悔しくて仕方がない夜でも、一人で立って一人で生きてもがいてきたんだって、心の一番深いところで納得させられる。この音楽を聞く何万人と同じように、だけどまったく違う体と心と人生を背負いながら、これはわたしだ、と思った。

四畳半の個室で「自分は間違い探しの間違いの絵の方に生まれたのかもしれない、でもだからこそ今目の前の人との出会いがあって・・・」と。米津くんからこの曲の意図を聞いた時に生きている中で何となく不安だった自分にしかわからない気持ちに名前をもらったような気がしました。

そんなことを考えていたら、公式サイトで彼自身がこう発言していて、思っていた通りのことを言っていたことに驚いたし、その思いや彼が伝えたかった祈りを、まっすぐに届けることができる表現力に脱帽した。

この歌をおすすめしてくれたスウェーデン人の友達が「彼は一音一音はっきり発音するから、聞き取りやすい」と言っていた。囁くのでも叫ぶのでもなく、ただ目の前に差し出される歌声は、信じられないくらいにすっと胸に切り込んできて、逃げも隠れもできずに感じたまま震えることしかできない。多分わたしたちは、てらいのないまっすぐさとか、力を誇示していない力強さとか、そういう本当の意味で強いものに弱いのだと思う。そういうものに心底憧れている。

 

5/27(月)〜6/1(土)

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集大成の旅行に出かけた。ポルトリスボン、そしてマドリードへ。30度を超える灼けるような暑さに、文字通りくらくらしていた。強すぎる日差しに太刀打ちできず、サングラスを買えない自意識を抱えて、目を瞑って歩いた。友達がポルトガルを歩きながら「ピカピカの街だね」と言っていた。あら素敵。

坂や階段が多くて大変だったけれど、街はかわいくて、食べ物は美味しくて、生のオレンジジュースやサングリアをたらふく飲んで、優しい人にたくさん出会えて、集大成にふさわしい素晴らしい旅だった。

 

6/2(日)

菜の花畑と街の写真を撮りにバスに乗って隣町に出かけたけれど、信じられないくらい美しかった一面の黄色は、ほんの少しの間に一面の緑に変わってしまっていた。あの黄色を知らなければ、ただの雑草だと思っていただろう。あの時出会えてよかったけれど、だからこそちょっと寂しくて、そういうことってたくさんあるよなーと思った。

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お昼ごはんのお金を払う時、「美味しかったですか?」から「レシートいりますか?」まで、細かいこともすべてスウェーデン語でやりとりできて、相手もわたしのことを普通にスウェーデン語話者だと思っているみたいで、すごくすごく嬉しかった。

そして帰りにアイスを買う時に、同じようにスウェーデン語で挑戦したら、当たり前のように英語で返答されて、悔しくてスウェーデン語で話し続けても何食わぬ顔ですべて英語で返されて、それまでのほくほくした気持ちが一瞬でどこかへ消え去って、自分でも驚くくらいに傷付いた。

わたしがスウェーデン語を話し続けたからか、最後には馬鹿にしたように「tacktack〜」と半笑いで言われて、頼んだミルクアイスはヨーグルトの味がして、腹立たしくて悔しくて悲しくて、店を出た瞬間号泣してしまった。

たしかにわたしは上手にスウェーデン語を話すことはできないし、コミュニケーションという観点でも相手に頼る部分が多い。だけど、誰もが英語を話せるこの国で、この国の言葉をゼロから学び、話すということが、わたしにとって精一杯のリスペクトであり愛情だったから、自分自身を否定されたような、あなたは他所者なんだと目の前でシャッターを降ろされたような気がして、悲しかった。