春と夏の間のトンネルを抜ける日記

鳥のさえずりで目が覚める。他のどこでも聞いたことのない透き通った音階に聞き惚れる。朝日の柔らかさに目を細める。新緑の匂いがいっぱいに詰まった空気を吸い込んで一日を迎える。そんな春の記憶。

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5月。並木道に風が吹いて、葉が揺れる音の交響曲みたいな、贅沢な重なりを聞いた。サラサラという音が、速くなったり、低くなったり変化して、それぞれの音が重なることで、奥行きを増していく神秘的な美しさがあった。

波の音のように聞こえた。雑草の透明感にどうしようもなく心震える日がある。木漏れ日、という美しい言葉は日本語特有のものだと知った。

 

6月。この北の地にも梅雨は来るらしい。日中は蒸していて、肌の下に侵食した湿度の高い空気が、体を外側から潤わせようと企んでいる。その水分に反応して、緑がむくむくと生い茂っていく様が、目でも肌でも否応なく感じられる。わたしまでむくむく育ちたくなるような空気の密度。繁茂、なんて言葉どこで使うんだって小学生の頃漢字の練習をしながら思っていたけれど、今でした。繁茂という二文字以外に表せないような緑の生きる姿にやっと出会えた。本当に目を見張るほどの成長速度で日々驚く。

このままいけば、街は緑に覆い尽くされてしまうかもしれない。そんな景色を見てみたくなるほど、意思を持った生命がこの地の政略を目論んでいた。

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6月のある日、19時半を回ったところ、まだ日は暮れていない。嘘みたいな夜の手前。

蒸していた湿度だけが消えて、冷たい澄んだ空気に、昼の間に蓄えた花の蜜の味が秘められている。新緑の豊かな匂いだけが空気に残っていて、梅雨はこのための季節かもしれないと思った。

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キャンパスから外に一歩足を踏み出して、すうっと吸い込んだ空気に満ちた自然の香り、その甘さに驚いた。空気に花の匂いが宿るということ。

雨を描かずに梅雨を描いてください、と言われた時の模範解答。

 

忘れたくない忘れたくないと願うことしかできないわたしは今日も美しい春に泣きそうになりながら、何かがこぼれおちていく感触だけを抱えて今日もバスの外を眺めています。子どもが世界の神秘に日々新しく感動するように、最初で最後の春に何度でも驚いたり涙が滲んだりしながら、あと少しで日本に帰るわたしは、ここに置いていくもののことを考えていた。こんな感傷は、最初で最後だとわかっているから、ただそれだけの理由で迫ってくるのだろうか。

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今日もフィルムカメラみたいな美しい午後だった。こんな春をわたしはいつかきっと忘れてしまう、それだけはわかっている。

いくら悲しいことが起きても、絶対にもっと悪いことが起きるはずだ、なんて呪文は簡単にかけられるのに、嬉しいことがあっても次はもっといいことが起きるなんて思えなくてなんだかひどいことが起きてしまうんじゃないかって不安で仕方なくなる。

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だけど今日、これ以上ないと思っていた美しい春よりも、もっと美しい春がたしかに存在してるということを知った。本当にきれいで力強くて、その確かさに無性に泣きたくなった。いつだって強いものに憧れている。あと一月でわたしはいなくなる。それでも時は流れて、わたしを忘れたこの街に変わらず儚い夏が来る、明るい秋がくる、寂しい冬もくる。そしてまたこの美しい春はたしかにここにくるんだ、わたしがどこにもいなくても。それが寂しくてとても嬉しい。わたしの過ごせない夏や、行けなかった街、知らない花の名前、見逃したたくさんの美しい風景を思うと崩れそうになる。この痛みを愛している。