GW前半、セブ旅行で命を削る
もうしつこいくらいに書いたので割愛しますが、何もかもうまくいかず身も心も削られた1年半ぶりの海外旅行 in セブ島。疲労困憊の体で、さらにうっかり聴力も失いかけた悲しみの休暇。今年のGWのことは一生忘れないであろう。
GW後半、帰省でHP回復
後半は気を取り直して帰省して魂の休養。我が地元に新たな観光スポット(ただし急速に勢いを失いそうな匂いがぷんぷんする)ができていた。
その一店舗に、部屋とTシャツと私的な名前の噂のクレープ屋ができたということで、地元の友達2人と突撃。整理券取得〜クレープにありつくまで3時間以上かかった。少人数でゆったりまったりクレープを作られていたので、わざとそういう戦略を取っているということらしい。やめてほしい。


愉快な友達は乗っ取りをびびらせるためにPayPayのユーザー名を「地獄太郎」にしていた。最近、恋人探しに身を乗り出しているらしく、よく相談し合う仲間たちを「我が頑張りの集い」と呼んでいてかっこいい。ちょっと気になっている人のことは「ウチいわくイケメン」と評価していた。客観的な主観。
友達がめずらしくふたり揃って黒髪ロングだな〜〜と思っていたら、NewJeansになるために揃って髪を伸ばす契りを交わしたらしくてウケる。どちらかが面倒になって切ろうとすると「何言ってんの!ウチらNewJeansになるんでしょ?!」と説得し合っているとのこと。頑張ってほしい。
ちなみに、この愉快な友達にセブの入国代行詐欺で17,000円も無駄にしてしまった顛末を話したら、めずらしい数秒間の沈黙の後に「失ったものよりも、得たものを数えよう」という標語が返ってきた。ありがたい悟り。
GW最後は両親とともにドライブで霧ヶ峰へ(冷房…?)ちょっと阿蘇を彷彿とさせるような風景、霧ヶ峰の名に恥じない涼しくて澄み渡った風が吹いていた。帰り道、御柱祭の木落としの坂に偶然辿り着いた。まだ暑くなく、初夏の気持ちいい日だった。


雨の軽井沢で心に潤いを取り戻す
雨の週末に友達と軽井沢へ。めちゃくちゃわたしの好きなタイプの街だった。怒涛のセブ旅行やその後のハードな仕事を乗り越えての週末だったこともあり、豊かな緑、鳥のさえずり、畳の寝心地、美味しい食事、ゆっくりと流れる時間——などなどに癒されまくり、みるみる心に潤いが戻る実感があった。心に軽井沢の森が1セット植え込まれた感じ。
なんというか、いまのわたしに必要なのは余白であり、余力なんだろうな〜〜ということを実感した旅でもあった。ぼーっとする時間とか、8割の力で仕事を終えるとか、旅先で暇を持て余すとか。わたしというか、すべての働く人、てか現代人みんなそうかもしれないねえ。いつまでも光から「どこまでも余」に改名したいくらい切実な実感。余る、というのは豊かさの象徴だ。
初めての文フリ参戦
よく名前は聞くものの何のことかよくわかっていなかった魔法の言葉「文フリ」に初めて足を踏み入れました〜〜!すごい人の数にただただびっくり。こんなにたくさんの人が本を作って、買ってるのだと思うと途方もなくて、それだけで胸躍るような(そして吸い取られるような)エネルギーがあった。
わずかな勇気と社交性を振り絞って、いつもブログを拝読している方々に、ただただ読んでいる旨だけを一方的に伝えさせていただくなどした。緊張したけどこちらが嬉しかった〜〜!こんな見ず知らずの人間に応対してくださった方々(ほぼ名乗ってすらいないけれど)、ありがとうございました!
それにしても、ブースを見て回るのはもちろん、出展している方々が他の出展者や来場者とお話しされて輪が生まれている感じ、すごく楽しそうでめちゃくちゃ眩しかった。一緒に行った友達と揃ってボルテージが上がり、軽率に「我々も出展しよ!」と盛り上がったが、本当に出展できるのか、果たして作るものがあるのか、あまりに未知。
【悲劇】出社中にカラスに後頭部を襲われる
本当にもうどういうことですか?セブの難聴や詐欺事件に続く不運。厄年としか思えない。悲しすぎるので詳細は省きますが、出社の道中にもらい事故で怒り狂ったカラスに後頭部を足で襲われる(しかも時間差で2回)という生まれて初めての珍事に遭遇。
この歳で許されないくらい号泣しながらコンビニに逃げ込み、反射的に母親に電話で泣きついた。我々はもともと鳥NG親子ということもあり、あまりのショックになぜか母もその場面を想像して泣いていた。泣きながら「熊じゃなくてよかった…」と嗚咽していた。多分23区に熊はそうそういない。
母に念のため内科受診を強く勧められ、動揺しきったふたりによる「こういう時って内科でいいのかな…?」「うん内科だよ…!」というやり取りの後、泣きながら内科に電話して事情を説明したところ、すごく優しいおばさまが温かく励ましながら外科を紹介してくれた。
本当は対面の会議に向けて急ぎ出社していたところだったのだが、もはや会議などとは言ってられず、上司や先輩に「すみません、カラスに襲われて…」という情けない報告を入れて時間休を取得。外科までの道中もあまりのショックで生理的に涙が止まらず、はらはら泣きながら歩き続けた。診察してくれた外科のおじいちゃん先生も昔カラスに襲われた経験があり、共感が止まらない。狭い空間にカラスに襲われたことのある人間がふたりぼっち。結局、幸いにも怪我はなく、あれ以来カラス襲撃スポットにも例の犯人の姿は見当たらないのだが、わたしは対鳥PTSDを発症し、低空飛行する鳥や距離の近い鳥、なんなら突然目の前を横切る鳥ではないものの影などに怯えまくる生活を送っている。可哀想に…。
後日、会社のプロフェッショナルなんちゃら研修を受けているときに、裏で仲良しの友達にこの一件をチャットで報告したところ、「弱ってるんじゃない?本能で襲われてるんじゃない?」「プロフェッショナルがカラスに襲われてちゃだめだよ」という鋭い突っ込みを受けた。そうだよね、プロフェッショナルは泣きながらママに電話しないよね……。
今月の食事情
家でジントニックを作り出したので、おひとり様生活も極地の感
ついにわたしもここまで辿り着いたか…みたいな、喉をゴクリと鳴らしたくなる謎の覚悟がある。数年前、友だちに誘ってもらった千葉のおしゃれすぎる蒸溜所・mitosayaのオープンデーで買ったジンが冷蔵庫から発掘されたことをきっかけに、自家製ジントニック生活がスタート。家だとすぐ酔っ払ってしまうので、大量のトニックウォーターもしくは炭酸水などで割っており、正直ジンの味は全然わからない。もはやトニックウォーターが好きなのかもしれない。なんならこの前は三ツ矢サイダーで割ってみた。でもおいしいし楽しい。なんでもありすぎて「ジンに一家言ある人」の対極にいる。
まだずっとリュウジの至高のトマトパスタを作ってる
この日記にも何回か書いた気がするのだが、いまだにリュウジの至高のトマトパスタを作っている。まだ美味しすぎてどうしよう…。トマト缶・にんにく・玉ねぎ1/4さえあればできてしまう手軽さも魅力。わたしは圧倒的にディチェコよりもバリラ派。あまりに美味しくて大容量5kgタイプをAmazonで買ってしまったが、想像以上に全然減らなくて、これまたどうしよう。
今月のエンタメ
『いつかは賢いレジデンス生活』にありがとう
5月はエンタメが充実していた。まずは大好きな韓ドラ『賢い医師生活』のスピンオフ『いつかは賢いレジデンス生活』。世界中のファンからの重すぎたであろう期待とプレッシャーをしっかり超えてくる素晴らしい物語と、出血大サービスすぎる本家キャストのカメオ出演!北西の方向にありがとう〜〜と叫びたい。
初夏のヨルゴス・ランティモス祭
映画は、主に配信でヨルゴス・ランティモス祭を夜な夜な開催していた。全然初夏に相応しくない監督。評判通りどの作品でも強すぎる癖を遺憾無く発揮し続けており、頻繁に「ヒィーッ」と叫びたくなるのだが、とにかく画が強すぎてずっと画面に釘付けにされる魅惑の引力がある。


その中でも『哀れなるものたち』は世界観が開かれていて見やすかったし、エログロや不協和音さえもこの世界のピースにしてしまう物語の強さと美しさがあった。鏡のようにその真反対を行く次作『憐れみの3章』は、世界が閉じていて難解なためかあまり評判が良くないけれど、どこに連れて行かれるか分からない不安と期待、気持ち悪いのに画が強くてまたもや画面に釘付けになってしまい、わたしは結構好きだった。
さらば青春の光のコントライブ
見事チケットを当てた友達に誘ってもらい、初めてのさらばのコントライブへ。演出とか音楽とかグッズとか洒落ていたが、正直ぜんっぜん面白くなくてびっくりしてしまった……。YouTubeは面白くて好きでたまに見ていたので余計に困惑。ネタ作る暇ないくらい忙しいのかなあ。でもエゴサすると絶賛の嵐なので、わたしの感覚がおかしいのかもしれない。
中国SF『三体」三部作、ついに読破
5月は重い腰を上げて『三体』を読み始めたら止まらなくなってしまい、計5冊を読破。ひさしぶりにシリーズものの本を一気読みした。SFにあまり明るくないこともあるが、頭の中に立ち上がる世界と、そこで起きる出来事のあまりの規模の大きさにクラクラしてしまった。人生で持ちうる想像のなかで、間違いなく一番のスケール。時間的にも空間的にも物理的にも、本当にどんなところでもいけちゃうんだなあ!という、物語の持ちうるものすごいパワーを見せつけられた。すごい体験だよ、本当に。
『古くてあたらしい仕事』と『東京ヒゴロ』の仕事観
アドレナリンがばしばし迸るような興奮が止まらないのが『三体』だとすると、ひしひしと染み渡るような感動が強く胸に残ったのがこの2作品だった。ひとり出版社「夏葉社」を立ち上げた島田さんのエッセイと、長らく積読していた漫画『東京ヒゴロ』。
時を同じくして読めたことに必然を感じるほど、どちらも扱っているテーマや考え方、何より「仕事」というものに対する姿勢が驚くほどよく似ていた。とにかく誠実に誠実に仕事と目の前のひとりの人間と向き合うこと、そのような姿勢が周りの人に対して与えうる影響、そういう生き方をする人の佇まいや語る言葉の美しさ、尊さ。なかなか現実はそうもいかないことも多いけれど、わたしもこういう風に仕事をしたいと思う。