今年のGW、セブ旅行中に襲いかかった悲劇。↓の旅行記には詳しく書かなかったのだけれど、裏側では本当に記事タイトルまんまのまぬけな経験をして、大袈裟でなくこれまでの人生で一番、自分の人生の岐路に立っていたような気がする。
ハイパー幸運なことに、現在はほぼ元通りの聴力まで回復しました!!!泣
が、もし治らなかったらどうやって生きていくんだろうな〜〜と他人事のようにぼんやり考えながら過ごした数日間、心の奥底では、自分の人生が計画していなかった方向に大きく舵を切ってもう戻れなくなるかもしれない、てかもう手遅れかもしれない、という前代未聞のヒリつく恐怖に心底ビビっていた。不可逆、ということの恐ろしさよ。なんという2025年、GWの思い出。
生まれてこの方、幸いなことに自分の耳や聴力に強く思いを馳せたことがなかったのだけども、耳って何かあると本当怖いんだな〜〜ということを身に沁みて学んだので、ヒリついた顛末の記録兼、わたしの屍を超えていけ系エントリです。
- 4/26(土)まぬけな悲劇のXデー
- 4/27(日)寝ても覚めても耳鳴りが止まらない
- 4/28(月)帰国後直チャリ全力疾走・耳鼻科はしご
- 4/29(火)〜5/3(木)ジャンキー投薬生活
- 5/4(金)運命の再検査
- 今回の反省を活かして、ライブ用耳栓を買いました
- 耳に良いと言われているオープンイヤーイヤホンはどうなのだろう
- 後世に伝えたいこと
4/26(土)まぬけな悲劇のXデー
現地の友達が連れて行ってくれたナイトクラブで、大音量スピーカーの真下の席で過ごすこと数時間。周囲の声がまったく聞き取れず、耳元で大声で叫ぶか、メッセンジャーに文章を書いて会話していたほど。日本ではもちろんクラブなど足を踏み入れることもないので、会場の熱気・爆音の音楽・人が踊り狂う異様な空間・(かなり不快な)近距離の汗や体温、などの異文化を生身で体感し、さあ帰ろうと打って変わって静寂の街に抜け出した途端、あら大変、耳鳴りが止まらなくなっている。
最初は、こういう大音量の環境から抜け出した時にありがちな、耳がぽわ〜んとする感じだなあ、数分で治るだろう…と高を括っていたら、どうにも耳鳴りが消えてくれない(友達も同じ状態だったがすぐに治っていた)。ホテルに戻って、シャワーを浴びて、不安になりながら眠りにつき、深夜に目を覚ましてもまだ消えず絶望。
4/27(日)寝ても覚めても耳鳴りが止まらない
ついでにネット検索やエゴサも止まらない。体に不調がある時、ネットで調べて自分にあてはまる気がする不安な情報や病名を見つけて、焦ってさらに調べてもっと焦りが止まらなくなる現象、ついでに結果的には杞憂でした🎶というハッピーエンドもあわせてハッピーセットな一連のあのループ。この世の大方の人が経験したことがあると思うのだけど、今回のわたしの場合、もう完全にこれじゃん…という解説記事を見つけて、焦りを超えて一瞬で諦めの境地に達した。
発症する誘因
肉体的な過労状態、精神的ストレスが溜まっているとき、睡眠不足の時、飲酒しながら、激しく頭部や体を揺さぶりながら、強大な音楽を2時間以上にわたって聞き続けるときに、この病気は発生することがわかっています。
ぜ〜〜〜〜〜んぶ当てはまってるじゃん……。3個以上当てはまったら…みたいな話もよく聞くけれど、発症する誘因、列挙する必要もないほどに全部が全部完全にビンゴ。むしろ発症させるために全力を尽くしたとしか思えない仕上がり。
ちなみにこれは「音響外傷」という聴覚障害で、突発的に大音量に長時間晒された時に起こるらしい。早く病院に行かないと手遅れになる、投薬でなんとかなるかも(重症の場合は点滴)、一生治らない場合もある。この日の深夜便で帰国予定だったので、終始不安になりながらも旅行最終日をたのしんだ。
Twitterでは同じく音響外傷になった方の「推しの声で耳が駄目になったならそれは本望だよ…」みたいな声がちらほら散見されたのだが、特に楽しんだわけでもない旅先のナイトクラブでうっかり耳を駄目にした人間はどう考えても本望じゃなさすぎないか…?
4/28(月)帰国後直チャリ全力疾走・耳鼻科はしご
早朝成田着、急いで帰路につき、シャワーも浴びず即チャリ全力疾走で近所の評価が高かった耳鼻科へ。不安な気持ちで聴力検査を受けるも、先生はそっけない感じで検査結果の詳細については何も教えてくれず「この歳の聴力にしてはかなり酷いね」「薬を出すので解決しなければまた来てください」とだけ言われ、診察終了。わたしがもっと粘ればよかったのだけど、取り付く島もないという感じで勇気が出ず、ついでに受付の方の対応もかなり酷く、無念の退散(ただしお会計だけは45分待たされた挙句、機械が不調なので一度帰って今日中にまた払いに帰ってこいと言われ、涙——。)
処方箋はあるので薬はもらえるけれど、早く治療を始めないとやばい&一生治らないかも、という絶体絶命の最中、このお世辞にも信頼できるとは言えない病院にわたしの人生を預けていいんか…?とアイフルばりの内なる声で問い続け、正直この時点で体力は底をつきかけていたが、気力を振り絞って人生初のセカンドオピニオンを決意。
次に探し当てた病院は、不器用な感じがまた優しくて丁寧に説明してくれる先生と、きびきびした親切な看護師さんがいて、セカンドオピニオンであることも温かく受け止めてくださって、「ここに来て本当によかった〜〜〜😭」と心からこの病院と自分に感謝した。
2回目の聴力検査の結果、70歳平均よりも下、なんなら軽度難聴に片足を突っ込んだくらいの聴力になってしまっていることが判明。ピーッという音が鳴ったらボタンを押すタイプの検査で、「どのステージ(?)でもこの最初のところは音が鳴らないのね、了解」とドヤ顔をしていたのだが、おそらくあの時間もわたしには届かない音が鳴っていたのだと思う。全然聞こえなかった。ちゃんとショックだった。同時に「治りかけかもしれないけど音響外傷の波形ではない、低い音のスコアがかなり低い。高い音も左だけずれている、軽度の突発性難聴もしくは低音障害型感音難聴(低い音が聞こえにくい難聴)の可能性もある」という説明を受けた。あと、「1/3は治る、1/3は治らない」ということも。喉の奥がヒュッとなった。
最初が肝心で、後になればなるほど治る可能性が下がっていくから、ステロイドも出すし、多すぎるんじゃないか、というくらいはじめからしっかり薬を飲む必要があります、ということで、わたしにできることは、薬を欠かさず飲むこと、水をよく飲むこと、よく寝ることだけ。
4/29(火)〜5/3(木)ジャンキー投薬生活
そこから数日間は、耳鳴りが鳴り止まず、音や声も聞こえづらい耳とともに、不安な気持ちで、ただただ信じて薬を飲み、働いたり遊んだり休んだりした。多い時は1食につき9錠、1日で19錠の薬。生まれて初めてこんなに薬を飲んだ。あと、生まれて初めて数日間もイヤホンを使わなかった。もっと耳が悪化するような気がして怖かったから。耳鳴りはだんだんよくなってきた気がするけれど、まだ消えない。このあたりから、少しずつこの耳と生きていく覚悟をしはじめていた気がする。
5/4(金)運命の再検査
ドキドキと拳を握り締めて決死の再検査。結果は、20〜30代平均には若干劣り、さらに低音はもうちょっと聞こえづらいけれど、それでも無事に、THE・健常者のレベルに舞い戻ってました〜〜〜!先生からも太鼓判。安心して涙が出たよ。
静かな空間だとまだ耳鳴りが遠く聞こえる、と言ったら、「耳鳴りは脳の病気だから、探さない方がいい。これからは好きな音楽とか聞いて過ごしてください」と素敵な言葉で背中を押してもらい、晴れやかな気持ちで病院を後にした。
今回の事件を踏まえてあらためて思い返してみると、わたしはもともと低い音が聞こえづらくて、ただ日常生活にあまり支障はないので、自分ではあまり気にしていなかった。でも、邦画でも字幕をつけるし、(雷鳴の音)みたいな字幕で、何も流れてなくない…?と思ったりしていた。あの時もわたしには聞こえない雷鳴が流れていたんだなあ。投薬中ずっと怖くて、縋るように何度も試したYouTubeの聴力テスト、悲しいけれど125Hzが今でもほとんど何も聞こえない。
書いていたらまた悲しくなってきた。でも、これはもうわたしの個性なのだと思って、気にせずに付き合っていくことにした。聞こえない、ということを自覚した途端に、目に見えない、手で触れられないものがたしかにそこにあるということの不思議さが、実感を伴って身に迫ってくる。
🌲余談🌲 心配させてしまうので家族には話していなかったのだけれど、すべてが丸く収まったのちに帰省して母に話をしたら「光は子どもの頃から、何が嫌いって大きな音が本当に苦手な子どもだった」と教えてくれた(たしかにその記憶は今も残っている)。
もし最悪の結果になっていたら本当に申し訳なかったからよかった…と呟いたら、「これから何があっても、お母さんに申し訳ないとか、そんなこと思わなくていいの!お母さんがどこにでも飛んでいって光の耳になるから!」と力強く言ってくれて、深夜の食卓で泣いてしまった。
今回の反省を活かして、ライブ用耳栓を買いました
セブからの帰りの飛行機は、友達に付き合ってもらって急遽間に合わせの耳栓を買って飛行機を凌いだのだが、今回のことを教訓に、以前からずっと気になっていたライブ用耳栓を買いました〜〜〜!
その名もLoop Experience 2。Loopはなんだか洒落ている耳栓のブランドで、目的に応じてEngageとかSwitchとかのシリーズが分かれていて、「Experience」はまさにコンサートとかライブ用のライン。音量を抑えて耳への負担を減らしつつ、演奏や歌声はクリアに楽しめるという、まさにわたし向けの代物なのである。
数年前に野外フェスで大音量と地面の揺れにすっかり気持ち悪くなってしまい、大トリあいみょんのパフォーマンス中、身動きのできない超満員の人混みのなかでビニール袋を片手に握り締めながら「あいみょんゆっくりなの歌え…ゆっくりなの歌え…」と会場でただひとり呪詛のように祈り続けていた悲しいトラウマから、ライブ用耳栓のことがずっとずっと気になっており、念願の購入。いま考えると、その時点で耳があんまり調子よくない気はあったのかもしれない。
デザインもかわいくて気兼ねしない!というのも大きなポイントで、アクセサリーみたいに見えるのがこれまた可愛い。ゴールドかシルバーでかなり悩んだ末に、シルバーだとなんか機械っぽさが増長される気がしたのと、普段シルバーのアクセサリーをすることが多いので、逆にゴールドにしてみた。まだ機会がなくてライブでは使えていないのだが、自宅でスピーカーから音楽を流すレベルでもかなりクリアに聴こえるので大満足。ライブで使うのも楽しみ〜〜!
耳に良いと言われているオープンイヤーイヤホンはどうなのだろう
イヤホンは5年前くらいのAmazon Prime dayでかなりの特価で買ったAnker Soundcore Liberty Proの旧型を使っており、そこまでこだわりが強くないこともあり、ノイキャン・音質・充電の持ちなどあらゆる点で十分に満足している。
なんならすでに元は取りすぎているくらいに取った自信があるのだが、今回のことを踏まえて、一般的に耳により良いと言われているオープンイヤーイヤホンの存在を知り、どうなんだろうな〜〜と悩んでいるところ。候補として考えていたのはこの辺り。
信頼のAnkerの耳に引っ掛けるやつ。めっちゃ軽そう。
またもやAnkerのイヤーカフ型。Ankerって手広くやってるなあ。デザイン的にはこちらの方が好み。
こちらもイヤーカフ型。Victorのイヤホンは一回も使ったことがないけれどどうなんだろう。
どうせ喉元過ぎれば熱さ忘れることは目に見えているので、このタイミングでオープンイヤーに切り替えちゃおうかな〜〜と真剣に検討していたのだが、騒音がうるさい地下鉄や繁華街では、ノイキャンがついていて耳を塞げる方が逆に耳に良いのでは…?ということを考え出したら決められなくなり、一旦持ち帰って検討しているところ(そのまま忘れて流れるやつ)。もしオープンイヤー型イヤホンを使っている方がいたら、ぜひどんな感じか教えていただきたいです。
後世に伝えたいこと
後半は若干イヤホンお悩み相談になってしまったが、今回の苦い経験を通じて、皆さまにお伝えしたいことはこちらです:
- 耳に違和感があったらすぐに耳鼻科に行ってくれ〜〜!
- 耳は最初が肝心、治療開始が2〜3週間遅れると手遅れになることも(ならないで)
- 聴覚は、ほとんどの場合一度失うと回復しない ←義務教育に取り入れるべき
エゴサも含めて今回切実に感じたのは、現実逃避が一番危ない、ということ。あと、負けないこと・投げ出さないこと・逃げ出さないこと・信じ抜くこと。でも医師を信頼できなさそうだったら、妥協せずにセカンドオピニオンに行くこと。
↑駄目になりそうな時は本当にそれが一番大事すぎて、この歌は体の不調に悩む人へのメッセージだった可能性がわたしのなかで突如浮上している。
幸いなことに無事聴力は戻り、悩んだ時間はたったの一週間弱ではあったのだけれど、後天的に障害を持つ、ということについて、今回初めて自分ごととして考えた。何の段取りもなく、川に押し流されるように気付けばそこにいて、もう後戻りすることはできない恐ろしさと諦念。この顛末の最中ずっと思い出していたのは、何年か前に見た『サウンド・オブ・メタル』という映画のこと。
聴覚を突然失う感覚を擬似体験できるような、音響に非常に拘っている作品で、ドラマーの主人公が突然聴覚を失ってもがく姿は悲しくて辛いものではあるのだけれど、同時に音が聞こえない世界がどこか美しく感じるラストだったことを印象深く覚えている。
口が裂けても気持ちが分かるとは言えないし、自分が聞こえる人間である前提で安易にそんな風に感じたことに引け目もあるけれど、この素晴らしい映画にいたく感動したわたしが当時そう思ったことは本当で、今回もしかしたら一生このままかもしれない、と覚悟した時にもこの映画がお守りのように記憶の片隅にあって、ちょっと強くいられた気がする。映画が好きでよかった〜〜と思った。