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走馬灯の瞬き

それでも春は続く日記

4/22(月)

おうち大好き芸人なので、いつだって我が家を愛し、いくら集中できなかろうが意地でも家で勉強するのだけれど、机と椅子の高さが合わず、ずっと気付かないふりをしてきた首や肩や頭や目の痛みが悪化の一途を辿り、いかんせん辛い日々が続いている。

レポートを書こうと試みずも全く進まず、苦しい時を過ごした。弟と電話した。『キングダム』を見て、「最近見た中で一番良かったわ!絶対見たほうがいい!」と言っていたが、彼は何を見ても何を読んでもこの台詞を言い放つ悪癖を持っているので、疑いの目で見ている。

お昼ご飯に牛乳とコンソメでパスタを作ったら絶品で、僭越ながらパスタ作りの腕がとどまるところを知らない。自分に元気をもらったので、がんばってちょっとレポートを書いた。

夜ごはんを食べに、大叔父の知り合いで隣町に住んでいる、元気な日本人のおばあちゃんとスウェーデン人の旦那さんのお宅にお邪魔した。もう何度も行っているのに、極度の方向音痴が災いしてバス停からの道のりをすっかり忘れてしまい、電話も繋がらず、30分以上も迷子になってしまった。そして結局自力では辿り着けなかった。けれど春うららの黄昏がすっかり心地よくて、かつてないほど陽気な迷子だった。

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イースター最終日ということで、ニシンやゆで卵、キャロットスープ、お肉、ヘーゼルナッツのケーキなどをいただいた。どれも美味しかった。一人暮らしをしていると、こういうスウェーデンの行事や伝統に触れる機会が少ないので、すごくありがたい。

その女性はもう80歳も超えているのだが、波乱万丈な人生を生き抜いた貫禄と愛嬌とちょっぴりの毒気があり、とっても元気でキュートなおばあちゃんだ。日常のことから、これまでの道のり、そして年金や社会や介護問題という真面目な話題まで、息つく間もなくおしゃべりした。60歳くらい上の先輩であり、目上の方ということは重々承知の上で、どこか友達のような気配がわたしたちの間に漂っていることを、お互いが心のうちに感じているような気がする。

彼女の連絡先は出国前にもらっていたのだが、特に連絡を取るきっかけも気力もないまま挨拶が遅れ、いざ連絡したのはかなり後半になってからだった。何回か会ったり、様々な話をしたりするにつれて、「どうしてもっと早く連絡をくれなかったのよ」「わたしがあと10歳若かったら、あなたが働き始めたり、結婚したり、子どもが生まれたりしたら日本に会いに行けたのに。その頃にはもうだめね。わたしは死んでるか老人ホームよ」と、いつも通りのなんでもなさそうなきっぱりとした口調で言われ、しかし少女が口を尖らせて言うような、ちょっと寂しげな色が滲んでいるのに気付いて、胸がぎゅっと切なくなった。年齢はどうにもできないけれど、わたしは自分自身の怠惰を呪った。もっと早く会いに行くべきだった、と思った。今思えば失礼なような気もするけれど、「その時はわたしが老人ホームに会いに行きます」という啖呵が自分でも気付かないまま口をついて出て、彼女は驚いたような目を少し見開いて、そしてくしゃっと笑った。もう帰国まで残り少ないけれど、半世紀先を歩く友人のもとへ、できるだけ会いに行きたいと思う。

 

4/23(火)

スウェーデン語のグループワークのために、クラスメイトとカフェで奮闘した。解散後も残って勉強するなど、その日の日記には「今日はひさしぶりに偉い日」と残されていた。一人の友人に、「あなた、いつも可愛いピアスをつけているね」と言われて嬉しかった。いつだって何だって褒められるのは嬉しいけれど、「いつも」という言葉に、「心に秘めていましたが、これまでずっと思っていましたよ」というニュアンスが感じられて、さらに嬉しい。

出川哲郎出演の『復活の日〜もしも死んだ人と会えるなら〜』のダイジェスト動画を、Youtubeでたまたま見た。故人の口調や姿や動作を最新技術で再現して復活させ、どうしてもその人に会いたい人と話せるようにするという、NHKの企画番組だ。

彼の後悔は、亡くなる前、母に「ありがとう」と言えなかったことだった。

言いたいことを全部言うこと、伝えたいことを全部伝えることは、時にただの自己満足になってしまう。言いたくても、伝えなければいけないとわかっていても、相手のことを思って「言わない」という決断をすることがある。

もう先が長くない母親にそのことを悟らせないよう、「ありがとう」という一言を伝えられなかった彼の不器用な優しさが、とても他人事には感じられず沁みて沁みて仕方なくて、わんわん泣いてしまった。

言わないという決断と言わなかったという後悔の狭間でどれほど苦しんだんだろう。もうこの世界にはいなくても、彼が目の前の母にその言葉を伝えることができたことに、わたしは本当に救われた。

 

4/24(水)

調子に乗って、自分の腕を過信してお昼ごはんに具なしパスタを作ったら、信じられないほどまずかった。生粋のジャニヲタの親友と電話していて、就活の合間を縫ってひさしぶりに推しのイベントに参加したら、「わたしのアイデンティティは◯◯を求めている!」と人格レベルで推しへの愛を確認していて、とてもよかった。

映画も読書も好きだけど、そんなにすごい見てるわけでも読んでるわけでもないし、趣味って言いづらいという話を何の気なしにしたら、「なんかさー、そういうのもうやめようよ。いいじゃん。上にはずっと上がいるよ。一番とか、そういうの疲れちゃうよ。好きなら好きでいいじゃん」と言われて、わたしはこの人のこういうあっさりとした強さにいつだって救われているなーと思った。

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Foodの授業で、Baking Seminarというものがあり、クラス全員でスウェーデン名物シナモンバンを作った。お菓子作りは久しぶりだ。天文学的量のバターが使われていることに戦慄しつつ、自分で作ったお菓子は美味しさ倍増で、癒された午後。おばあちゃん先生が、赤いフリルの Bake the world a better place と描いてあるエプロンをつけていて可愛かった。ZARA HOMEH&M HOMEで売っているらしいので、ぜひ欲しい。

英語を話せるわけでもないのに日本語をだんだん忘れていってしまっていることを、日記でも日常会話でも実感している。この前は、就寝と言いたかったのだろうが、起床の反対・・・とでも思ったのか、あろうことか着床と書いていた(猛省)今日は、航空業界の話をしていて、あまり興味はないもののグランドスタッフかっこいいよね!と言おうとしたが、口から出たのは「CAよりグランドキャニオンになりたいな」というあまりにも雄大な野望だった。

お兄ちゃんに勧められて少年ジャンプ+のアプリを入れ、イチオシだという『忘却バッテリー』 を読んでみたら、面白くて最新話まで一気読みしてしまった。中学時代天才バッテリーとして名を轟かせた片割れが記憶喪失になってしまうものの、高校生になって仲間と出会い、また野球を始める話。

こう書くと熱血王道スポーツ物語臭が漂うが、実際は肩透かしを食うほどなかなかの脱力コメディであり、またそう思って読み進めると、突然猛烈にエモーショナルが待っているという、ちょうどいい塩梅で絡み合う青春ジェットコースター漫画である。特にイップスの話あたりがすごくよくて泣いてしまった。まだ序盤なのでこれからの展開が楽しみ。その調子で『群青サイレン』を読み始めたら、リアルでしんどくて心が折れてしまった。

 

4/25(木)

レポートを提出した。偉い。スープランチを食べにお出かけした。これまでも十分すぎるほど美しい春を感じていたというのに、どこにいたんだ!というくらい突然顔を出してきたチューリップにいたるところで心奪われ、わたしの知らないもっと美しい春が潜んでいたことにドキドキする。

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今日のメニューは、ホウレンソウとイラクサの、優しいミルクスープだった。そのまったりとした温かさに癒された。少年ジャンプ+を開拓しようと、『ムーンライト』を読む。周りから一目おかれる主人公が好きなのです。

明日からの旅行のことをやっと調べ始める。ライアンエアーで荷物は規定サイズに収まるか、搭乗券はアプリで大丈夫かなど、不安が尽きずめちゃくちゃストレスだった。 去年の改定で荷物の規定サイズが馬鹿みたいに小さくされたことで不満が溢れ出て、その値段を鑑みても嫌悪を抑えられない症状が出てきた。ライアンエアー嫌々病。嫌いなところを書き出すと止まらなさそうなのでやめておく。まあ乗るんですけど。

 

4/26(金)〜4/28(日)

怒涛のベルギー・オランダ旅行に出かける。なんだかここ最近毎週旅行しているような気がするなーと思ってスケジュール帳を見てみたら、まったく気のせいではなく明確な事実だった。心の整理がつかないまま次の旅に出るので、感受性のリミッターが破壊されて、何を見ても何を感じてもその瞬間が溢れおちていく感覚だけが残る。楽しいのに少し虚しい。旅行記もたまりまくっているので、そのうち書きます。書きたいことはたくさんあるのだけど、心も頭も疲弊して全然考えがまとまらないので、今週はこれくらいにしておく。

霞をたべる日記

4/15(月)

きのう6時間くらいお昼寝したのに、油断したら普通に10時間も爆睡してしまった。これはおそろしいことだ。ぐーっすり寝て、ちょっと気力が現実世界の方に戻ってきて、体は筋肉痛みたいにバキバキだった。

一日スウェーデン語のキャッチアップして、夜は授業に行った。相変わらず手応えがなくて、どれだけ集中しても聞き取れず、キィ〜〜!!と叫びたくなるような衝動と自己嫌悪に苛まれる。なんでスウェーデン語の授業取ったんだ!こんなに辛いって前期からわかってたのに!と思うことも多々あるし、すぐに忘れてしまうかもしれないけれど、この未知の言語との格闘の日々とか、ピザの焼き方の説明が読めて嬉しかったとか、友達の両親が送ってくれたバースデーカードの文章が、翻訳なしでそのまま胸にすとんとおちてきて泣きそうになったとか、そういうことはずっと忘れたくないな。

インドネシア人の友達に、「あなたの筆箱、ジブリの空みたいだね」と言われて驚いた。日本から来たというと、ジブリの話をしてくれる人によく出会うけれど、「ギブリ」と発音するのに未だに慣れず、一瞬何のことだろうと間が空いてしまう。『風立ちぬ』を見てから、意識しているだけかもしれないけれど、まわりでジブリの話をよく聞くような気がする。

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この筆箱は、高校の英国研修に応募して、初めて海外に行った記念に買ったもの。帰り道スリが怖くて、友達に笑われながら包みを両手で胸に抱えて歩いたことを覚えている。たしかその年のキャスキッドソンの限定デザインで、イギリスの田舎町の空をイメージした、というような説明を読んだ気がする。色褪せてぼろぼろだけど、そんなことも気にならないくらい、あれから4年間ずっとわたしの相棒だ。青空に入道雲、たしかにジブリみたいだ。

 

4/16(火)

一日家でスウェーデン語の勉強をしたり、Youtube見たりして、午後友達と植物園でお茶した。ぽかぽかとした陽気の中、池の近くのベンチに座ってコーヒーやケーキを食べた。友達がクッキーを焼いてきてくれて、幸福なピクニックだった。

中国人とスウェーデン人の女の子ふたりと、それぞれの国のメディア産業や、将来の話について討論した。どこで生まれようとも、どこで生きようとも、だいたいみんな同じようなことで悩んだり焦ったりしているんだなーと少し安心した。

だけどこっちに来て驚いたのは、何かやりたいことができた時、◯◯をやりたい→△△が必要だ→□□の勉強をしよう、という逆算の道筋を当たり前に描いて、当たり前に辿れる人がすごく多いということ。その途中で失敗したり、やっぱり違うことをやってみたくなった時は、転部したり専攻を変えて一年次からやり直したり、ということをスパッと決断する。それを当たり前にこなせる感覚も、当たり前に受け入れてもらえる環境も、日本にはあんまりないなーと思う。学費が無料とか、専攻と将来の仕事が重なる重大さとか、色々と事情はあるだろうが、好きな学問を見つけて向き合えるのってすごい能力だと思う。勉強が好き!知るって楽しい!って、当たり前に話すスウェーデン人に何人も会った。勉強が趣味の一つになっているのだろうな。

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カメラを持っていって、春の花々の写真を撮った。

もう2年も桜を見ていない、と思っていたけれど、それは思い込みだったらしい。このスウェーデンの小さな町でも、いたるところで桜を見かける。

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桜の花の幽かな揺らめきには、他のどんな花とも違う美しさがあって、時がゆっくりと流れているように見える。ついつい足を止めてその様を見つめて、やっぱり特別だ、と簡単に納得してしまう。

 

4/17(水)

今日も胸に刺さる文章を読んでは、うわーすげーわかるーいいなーうわーと、懲りずに馬鹿みたいに絶望していた。わたしもそういう言葉を届けられる人間になりたい。

フラカンの『深夜高速』を聞いて、なんかよくわからないけど嘘みたいに泣いていた。


深夜高速 / フラワーカンパニーズ

僕が今までやってきた たくさんのひどい事
僕が今まで言ってきた たくさんのひどい言葉
涙なんかじゃ終わらない 忘れられない出来事
ひとつ残らず持ってけ どこまでも持ってけよ
生きててよかった 生きててよかった
生きててよかった そんな夜を探してる

もうすべての歌詞がいちいち胸を打ってどうしようもない。好きだ。

毎日何もせず何も考えていないまま時間だけが無為に過ぎていっているみたいだ。たまにどうしようもなく不安になることがある。今日はそういう日だった。とりあえず「ふわふわした思考をやめる」と「地に足つけて生きる」を目標に生きてみます。

 

4/18(木)〜20(土)

オスロヨーテボリに、2泊3日の一人旅に出かけた。今年の誕生日プレゼントは、生まれて初めての一人旅にしたのだ。リュックひとつとわたしだけですべて完結してしまう身軽さが、心許ないような気もしたし、どこへでもいけるんだって背中を押してくれているようにも思えた。

少しは観光地を調べていったものの、その時その場所の感覚でやりたいことをやろう、と決めていた。「ひとりでどこへでも行ける」という旅で自分が何に優先順位を置くのかに興味があった。本能のままにふらふらした結果、食は言わずもがなだけれど、海辺や植物園をお散歩したり、何もせずに広場で日向ぼっこして本を読んだり、そういうことを大事にしているらしい自分を見つけてちょっと驚いた。

特に何か悲しいことがあったわけでも、信じられないような出来事が起きたわけでもなく、ただぼーっとしていた旅だったような気がするけれど、ひとりきりでこの3日間を過ごせたことは、わたしにとってすごく意味のあることだった。いつかきっと、指でなぞるように愛おしく思い出すだろう。

 

4/21(日)

もう毎週書いているような気がするが、旅から帰ってきた次の日は、お酒を飲むと眠くなるのと同じくらい、限りなく100%に近い確率で抜け殻になってしまう。

ジャニヲタの親友と電話した。毎週ぎこちなく「我々今週も生きているだけですごく偉かったね」というスタートを切る。相変わらずお互いYoutuberの話ばかりしている。来年オリンピックと高校バレーに行く約束をした。面接で一花咲かせるのが得意らしく、もう内定もあるし来週は第一志望群の面接だらけで、それが決まったら就活はもう終わる!と言っていて、すごく喜ばしいことなのだけれど、未来がまったく見えていないわたしにはちょっと酷だった。

またすぐ旅に出るのだが、それまでにレポートをひとつ提出しなければならない。ちょっと下調べしつつ、現実から目を背けて眠りについた。

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就活に対する不安と重圧は、これまでの人生で経験したことのないくらいの質量と密度を持って迫ってくる。やってやるぞ!という気概も、自分に対する自信もないわたしは、その圧にいつもへたりと座り込んで、だけど向き合わないわけにはいかないとわかっているから、いつも頭の片隅で絶望している。毎日書いている日記をこれを書くたびに読み返したら、あまりにも切実に不安を吐露していて、たった一週間前の自分なのにその健気さに胸がぎゅっとなって抱きしめたくなってしまった。いつだって弱気のまま、二本足でここまで歩いてきたこれまでのわたしのために、しゃんとしようと思う。地を這う自己肯定感を気球に乗せて、自信に火をつけて、勝手に飛んでくくらいでちょうどいい。

ウィーン旅行記

3/29(金)

いつも早朝のLCCで飛ぶので、ちゃんと起きられるかどうか嬉しくないドキドキが止まらない夜を過ごすのだけれど、めずらしく午後の便で悠々と出発。それはそれで、出かけるまでの半日ずっとそわそわしていた。

いつでもチェックイン可能なはずの、宿泊予定のairbのホストの人から突然「仕事に行くから絶対に19時までに家に来い」という内容の長文お怒りメッセージを受けて、飛行機のスケジュール的にほぼ不可能だったので、冷や汗をかきながら出発。突然現地で家なき子になってしまったらどうしようかと不安だった。

結局飛行機が早めに到着して、ミスなく電車に乗ることができたので無事間に合った。ホストの人のプロフィールがサイコ感に溢れていて心配していたけれど、喜怒哀楽の表出が激しいだけのハッピーないい人だった。ジャンプ力が突き抜けている、大きいブサカワ犬がいた。正直に言えば、カワよりブサの方が比率高めで、それがまた愛くるしかった。

ウィーンでは、蛇口をひねるとアルプスの湧き水が出てくるらしい、と聞いていたが、噂に違わぬ澄んだ水だった。もう夜遅かったので、歩いて10分ほどの場所にあるレストランで夜ご飯を食べた。Ottakringer というウィーンの地ビールと、ウィンナーシュニッツェルと、ツヴィーベルローストブラーテンという難しい名前の、ローストビーフをステーキした何とも贅沢なご当地グルメを食べた。

地元に愛されている、和気藹々としたレストラン。暖色チェック柄のテーブルクロスや自然色の電灯、家族連れ、店員さんとお客さんの距離。健康的な明るさの場所だった。英語のメニューはなかったけれど、店員さんが丁寧に希望を聞き取って翻訳してくれたり、おすすめを教えてくれたりして、温かかった。食べ物はボリューミーで、出来立てほかほか。大きいサラダやパンもついてきて、その食事やウェイターさんの一言や笑顔から、歓迎されているということがわかる。歓迎は祝福だ。異国でのそれは、余計身にしみる。

閑散とした住宅街を歩いて帰って、ぐっすり眠った。夜の空が黒よりも真っ暗で、少し怖くなった。部屋が乾燥していたのか、夜中何度も起きて水を飲まなければいけなかったけれど、辛い目覚めを潤すアルプスの水は心地よかった。

 

3/30(土)

ウィーンを観光できるのはほぼこの一日だけなので、朝から張り切って活動。部屋をチェックアウトして、電車で市内に出る。ヨーロッパで感じたことがないくらい、電車の治安が良くて驚いた。パン屋さんで朝ごはん。普通のパンみたいな、サクサクしていない密度の濃いクロワッサンと、カフェラテを頼んだ。この種類のクロワッサンは食べたことがなかったけれど、もちもちしていて美味しかった。何よりも、ミルクが多めのまろやかで甘いカフェラテが優しくて、朝から癒された。

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ホーフブルク王宮の外観を見てから中を彷徨って、お目当のオーストリア国立図書館へ。世界で一番美しいと言われている図書館。扉をくぐった瞬間に壮麗な空間が目の前に広がっていて、迷い込んだRPGの主人公みたいに立ち尽くしていた。

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棚の後ろの隠し部屋や隠し本棚、天文学の資料や、4つの地球儀と宇宙儀。美しい天井画や装飾。違う世界の入り口みたいだった。薄いベールを纏った特別な空間。ダブリンのトリニティ・カレッジの図書館も素晴らしかったけれど、あそこに魔法の書があるとすれば、ここには世界で一番美しい星についての本があるはずだ。どちらも、美しさだけでは説明できない匂いがある。気品の奥のあやしさ。光の中に渦巻く煙。

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歩いて美術史美術館へ。ここは、わたしの両親が新婚旅行で訪れた場所で、母が絶賛していたので、一度行ってみたいと思っていた。中世風の建物に囲まれた広場にある。薄い春の空で、暖かくて、こんな季節も気持ちも一年ぶりで、目を細めた。

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建物自体が美術品みたいな場所。世界で一番美しいと言われているらしいカフェが併設している。シンメトリーが心地いい。(価格は心地よくない)

至る所にふかふかのソファーがいくつもあって、絵画をゆったりと眺めることができる空間。贅沢な絵との対話は文字通りの鑑賞だ。人もそこまで多すぎず、存分に味わうことができる。展示室ごとに壁の色が違ったり、照明の明るさが違ったりして、 人が絵をたのしむための最適な環境が作り上げられていた。

目玉はブリューゲルの作品群。『バベルの塔』や『雪中の狩人』など、彼の作品のための部屋がある。これまで彼の絵を見たことがなかったけれど、空間をスペクタクルに捉え、その中に日常を生きている人々や当時の生活が細部まで描かれていて、見ていて楽しい。それぞれの主題は、その広い視野の中にひっそりと潜んでいたりする。隅々まで見れば見るほど発見がある。決してリアルな絵ではないけれど、本当に人の生活を覗き見ているような気持ちになった。想像することすら難しいような、その場所、その時代に、かつて確かに生きている人々がいて、そしてその姿を一枚のキャンパスに閉じ込めようとした人がいて、わたしは今その瞬間とその思いに向き合っているのだな、と静かに感動していた。特に『子供の遊戯』が好き。ちょっとレイトン教授を思い出した。

それ以外にもたくさん作品があったけれど、名画と呼ばれる絵がうじゃうじゃしていて、何が何だか感覚がおかしくなりそうになった。一生分の美しいものを、この一年で吸収している気がする。

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その後、楽しみにしていた、ホテル・ザッハーのザッハトルテを食べに行った。並んでいたけれど、外でもいいと言ったらテラス席に案内してくれて、並ばずに食べることができた。封蝋の形のチョコ!デビルケーキみたいな甘々のやつを想像していたけれど、しっとりとした、ちょっと酸味の効いたスポンジとチョコと生クリームの相性が素晴らしくて、最高に幸せだったー。旅は美味しいものの記憶でこそ輝くのだ!

そこから、わたしの留学中の目標の一つであり、長年夢だった絵画を見に行った。トラムを乗り継いでベルヴェデーレ宮殿。まさに王室の建物!という感じのところがギャラリーになっていて、テーマパークに入場する時のような胸の高鳴りがあった。

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メインのギャラリーに入場する前の空間が、シャンデリアがいくつも吊るさって、すでに豪華に光り輝いている。けれどギャラリーは落ち着いた白の空間で、そのコントラストが面白い。

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そして念願のクリムトの作品群を、初めて見ることができた。散りばめられた金箔は、きらびやかに絵を飾るというよりも、独特の世界の中で静かに鈍く光っていた。エキゾチックで、官能的で、どこか物悲しい。

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わたしの夢だった『接吻』。美しくて、幸せそうで、切なくて泣きたくなるような絵。本当に幸せな瞬間はいつだって崖の上に立っていて、それは満ちていく喜びと同時に張り裂けそうな切なさをも孕んでいるのかもしれない。不思議な温度だった。わたしにとって、間違いなく特別な絵だ。ずっと見ていられる、見ていたい、と思った。

しかしそんな時間も取れず、中心部に戻ってオペラ座の行列に並び、立見席のチケット購入に挑戦した。30分くらいで販売開始時間になり、無事に4ユーロで舞台正面の2階席の立ち見チケットを手に入れることができた。

そこから40分ほどしか開演まで時間がなかったけれど、近くのレストランで夜ご飯を掻き込む。ウィーンで有名らしい赤ビールを飲んで、シュニッツェルとニョッキと謎のサラダを食べた。食べる遅さに定評のあるわたしですが、もうガンガンに頼んで飲んで食べて、過去最高の早食いを見せつけた。苦しくて吐いちゃうかと思った。なかなか来ない会計にはらはらし、残り5分で会場に入れなくなる!という瀬戸際で店を飛び出し、ウィーンのお洒落な黄昏時をニューバランスで全力で駆けた。

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演目は『ばらの騎士』。2回休憩があり、すべて合わせて4時間ほどの長丁場。まったく考えていなかったけれどドレスコードなるものがあり、タキシードやドレスを着たムッシュー・アンド・マダムたちが会場を席巻していた。立ち見席は例外ということで、わたしもニューバランスにスキニーという申し訳ない格好で会場を無事に困惑させた。

足元のモニターで字幕を出してくれるので、ドイツ語のオペラも理解することができたが、会場のムッとしたこもった空気と乾燥と立ち見席の混雑と暑さと立ちっぱなしと水分不足がもう想像を絶するほどに辛くて辛くて、流し込んだビールと夜ごはんも胃を渦巻いていて、本当に倒れる寸前であった。実際に倒れてしまう人もいて、休憩を挟むたびにダース単位で人が減っていき、行列を並んでチケットを勝ち得たというのに、終幕までいた人はほんの一握りだった。

正直に言えば、わたしのような平凡な人間にとって、初めてのオペラはまだ到底味わいきれない娯楽だった。いかんせん立ち見席のオペラ鑑賞は苦行耐久レースなので、幕間のたびに外に飛び出て、新鮮な空気を取り込みながら水をがぶ飲みしていた。人気の演目らしいけれど、一幕のクライマックスで、浮気相手の男の心変わりを案ずるマダムの歌がもう長くてしつこくて、すでに「もうええわ、ありがとうございました〜」という気持ちだった。しかし最終的にマダムはいい奴だった。マダムの愛には1ミリくらい心が動いた。大変だったけれど、本場のオペラをたった4ユーロで見届けられたのはいい経験だった。

貧乏旅なので、今日は命からがら空港泊。空港がめちゃくちゃに乾燥していて、さらに到着ゲートの前に座っていたら、どこかの国から到着した人たちが強烈な花粉を持ってターミナルに入場してきて最悪だった。一晩中鼻水とくしゃみと目のかゆみに苛まれながら、マックのサラダを食べつつうとうとしていた。

 

3/31(日)

朝5:30のフライトで帰国。空港泊は辛いけれど、これくらい早い飛行機だと楽だ。

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これまで大したイメージを持っていなかったけれど、ウィーンめちゃくちゃよかった。お洒落でゆったりしていて、都市というよりは都という呼び名の方が似合う品格ある街。空も土地も広くて、空気も水も美味しく、治安もいい。暖かくて空は晴れ渡っていて、平和をかき集めたみたいだ。芝生や庭のベンチで日向ぼっこしている人がたくさんいて、そんな風にこの街でのんびりと生きてみたくなった。

ブランコの日記

4/8(月)

5月に叔母がパリに旅行に来るということで、会いに行くための航空券を探すも、どれもあまりにも高額だった。泣く泣く取ったけれど、わたしの口座は、すすり泣きからむせび泣きにグレードアップしている。

執念のメールを送ったAppleから連絡が来て、件のアプリ内広告課金事件の1800円を無事返金してもらえることになった。基本的にアプリ内の誤操作による課金は返金対象外らしいけれど、なぜか例外を適用して、返金してくれるらしい。本当にありがたい。対応もめちゃくちゃに優しくて、Appleに一生ついていくよ・・・という気持ち。

一日中、金曜までのレポートをコツコツ書いていた。かなり、何言ってるんだ?という仕上がりになってしまっているが、もう戻ることはできないので、何も考えず前だけを向いて着々と明後日の方向に進んでいる。弟は、迷走の結果アルティメットと華道のサークルに入ったらしい。我々の迷走は終わらない。今日はスウェーデン語の授業で友達ができて嬉しかった。

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昨日まではフィルムカメラみたいな儚い空だったのに、『風立ちぬ』を見たからか、本当に季節が夏に一歩進んだのか、今日は澄んだ青のジブリみたいな空だった。キッザニアの天井みたいな、セットの中に入り込んだ嘘みたいな感覚。グリーンバックに違いない。

 

4/9(火)

今日も朝からレポートを書き続ける。それが正しい道かはもうわからないが、霞の中のゴールがおぼろげに姿を現してきて安心した。明日から旅行なので、冷蔵庫の中を全部整理しようと試みる。お昼ご飯にきのこと玉ねぎとトマトを煮込んで、そこで鶏肉を焼き、夜ご飯は鶏肉の出汁が沁みた残りでトマトパスタを作った。主婦のような素晴らしい自炊力を自ら褒め称えながら平らげた。

1ヶ月前に授業で知り合ったオランダ人の友達と、初めてお茶した。これまで出会ったどんな人よりもめちゃくちゃによくしゃべる明るい女の子で、二人で会うのは初めてだったけれど、2時間ぶっ通しで話し続けた。友達と約束して一緒にダイエットを頑張る、とかよく聞くけれど、彼女の友人が肉を食べるのをやめる代わりに、彼女は禁煙すると決め、誘惑と友情を秤にかけて煙草を我慢していた。

初めての出会いはスウェーデン語の授業で、わたしが勇気を振り絞って「隣座っていい?」と声をかけた時、彼女は間も置かず満面の笑顔で「No」と言った。その瞬間すごく驚いて、ひやっと肝が冷える感覚がしたことを覚えている。今日も、許可を取るためというよりは社交辞令のように「トイレ行ってきていい?」と言ったら、同じ笑顔で「No」と言われて、あの頃とは違う、友達という近づいた距離感にふと気付いて嬉しくなったりした。

この一年で友達ができないという悩みと初めて向き合って、辛い思いもたくさんしたけれど、わずかな出会いを大事にして、誰かと本当に分かり合えた瞬間の小さな喜びをしっかりと抱えて生きるこの一年はすごくいいものだった。これから二度と会えない人とのその瞬間は、これからのわたしを形作るのだと思う。

彼女は豆腐にはまっているらしいのだが、その調理法の最初が「薬学部の彼氏の分厚い教科書で豆腐を絞って水分を出す」で驚いた。

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豆腐の硬さに色々あるらしいけれど、一瞬でぐしゃぐしゃに崩れ落ちる豆腐が脳裏に浮かんでしまった。ちなみにこの画像のFIRMレベルの豆腐を日々押し潰しているらしい。

久しぶりに社交性を放出させたので具合が悪くなってしまって、帰ってからすぐ寝て休んでいた。お腹が謎に膨れているというか、息を無限に吸い続けたくなるような苦しさで辛かった。たまにそういう日がある。無事に治ってよかった。

友達がLINEで「ユーチューバーのテング感が嫌で倦怠期だよぉ」という話をしてきて、特に嫌いらしいユーチューバーについて話題を振ったら、匂わせ加減が一定の域を超えてしまっているらしく「あいつはだめだよ!香ばしすぎだよお〜!!」と叫んでいて面白かった。

 

4/10(水)

朝、突然部屋のピンポンが鳴って、見ず知らずの男二人が立っていた。「部屋間違えてますよ」と言おうとしたが、寝起きだったのでやめた。他の友達も同じようにやられていたらしく、誰かわからないけれどすごく怖かった。出なくてよかった。洗濯しに一階に降りたら、エレベーターホールで「ママ〜〜!!!」と、ちょっとラリっている感じで気味悪く叫んでいる男の声がしてさらに恐怖だった。Queenより半オクターブ高めのママ。

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前夜寮の玄関が電動モーターサイクルで責め立てられていた事件と関係しているのかもしれない。ただの機械が複数玄関に置かれているだけなのに溢れ出る狂気。

映画を見る予定のFoodの授業でポップコーンが配られて最高だったが、機械の不具合で映画がほとんど流れず、ただポップコーンを食べる授業になってさらに最高だった。

授業終わり、そのまま空港に行ってLOTでタリンへ飛んだ。空港までの道中にひこうき雲をいくつも見た。空を裂くような、短く垂直に伸びるひこうき雲を見かけると、墜落していく飛行機を静かに眺めているような、なんとも言えない後ろめたさを感じてしまう。

 

4/11(木)〜4/14(日)

3日間でバルト三国を巡る、過酷旅を敢行。想像はしていたものの、本当に辛い旅だった。予想以上に厳しかったのは早起きと寒さ。毎朝6時くらいの長距離バスで国を渡るので、疲れた体に鞭打って、日々4時起きで準備しなければならなかった。時差で1時間遅くなっている(スウェーデン時間では3時起き)のも相当に辛い。そして我が町の春うららに有頂天でスキップ状態だったわたしは、忘れかけていた宿敵、氷点下の極寒に背後から張っ倒され、見事に凍死寸前だった。とにもかくにも、無事に生きて帰ってくることができてよかった。

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いつも以上に疲弊して、日曜日の早朝に帰ってきてから、何度もお昼寝していつもよりワンランク上の抜け殻になっていた。冷蔵庫の宝物ゾーンに、タリンの民族衣装ガールと、リガの足が紐ガールが追加された。

家に何もなかったので、這いつくばって出かけたスーパーまでの道中の公園で、かなり歳のいった様子のおじいちゃんとおばあちゃんがブランコで遊んでいた。お皿のような形の平べったい台が吊るされていて、それに寝転んで揺らしてもらう形のブランコで、おじいちゃんが寝転んで、おばあちゃんがそれをガンガンに揺さぶっていた。大丈夫かと心配になってしまうほどの勢いで、子どもも顔負けくらいの全身全霊で、ずっと二人で大笑いしながらブランコを楽しんでいて、こういう人生を送りたいなーとヘロヘロの体で羨んだ。

美しい春の日記

4/1(月)

いつものごとく旅の疲れで抜け殻になってしまったので、一日中家にこもって何もしなかった。今日は空が信じられないほど青くて、春が本気で来ているという感じがする。

朝起きたら、新元号が決まっていた。わたしの名前はひらがなだし(漢字だったら自分にも関係があると思っているあたりの自意識)、新元号自体にもそこまで興味はなかったのだけれど、前日ねむる前に自分の名前に漢字を当てるとめちゃくちゃ元号っぽいことに突然気付き、「これは来る」という謎の確信で謎にパニクっていた。人生狂ったという絶望の中眠りについたけれど、朝起きたら超杞憂だった。

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今日唯一生産的だったのは、ベルヴェデーレで買ったマグネットを貼ったことくらい。特にマグネットを集めているわけはないが、旅先で気に入ったものがあると、細々と集めている。

フィンランドで買った魚とムーミンバルセロナで買った、ガウディのモザイク風サンタさん。ダブリンで買ったおじさんと羊。そして、夢だったクリムトの絵たち。部屋の中で一番、好きなものだけが集まった宝物ゾーンの冷蔵庫。

 

4/2(火)

今日も嘘みたいな春の日。帰る前に一人旅をしてみたいと思い立ち、ヨーテボリオスロへのバスや電車、宿を予約完了した。電車旅の予定だったけれど、安いチケットはどれもバスなのでほぼバス旅。正しいバスに乗るということが苦手なので、すごくドキドキしている。お母さんと電話したのでハッピーだった。

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気力が復活して暇を持て余したので、隣町にお出かけ。バスから見上げる、儚げな薄い水色の春の空が、フィルムカメラで撮った風景に似ていた。初めてここに来た日、デンマークからスウェーデンに向かう電車の窓からスウェーデンを見て、「お好み焼きみたいだ」と思った。液体が地面に広がってそのまま固まったみたいに、ただただ平らな地面が広がる風景は、山に囲まれた場所で生まれたわたしにとって異様でさえあった。空はどこまでも上に続くけれど、山の背中に消えることなく、ただひたすら下にも伸びていくということを知った。そして、下に行くほど白く淡くなるのだ。映画のスクリーンの中にいるような、ゲームで作った街の中にいるような不思議な感覚がして、天幕説を思いついた人の気持ちがわかるような気がした。映画館みたいな街だ。

HOLY SALAD という神々しい名前のサラダ専門店で、アジアンシーザーという名前のサラダを食べた。生姜味の人参、辛すぎるパプリカ、枝豆、パクチー、謎のハバネロライム・ドレッシングという、あまりにもパッとしないサラダにちょっと萎えてしまったが、海老と春雨に救われた。美味しそうなチーズの名前を聞いたらゴーダチーズだと言われたので、これはいい!とトッピングしてみたら、ゴートチーズの聞き間違えだった。あの獣臭にすっかりやられてしまい、それが決め手でノックアウトです。

帰り道窓の外を眺めていたら、一瞬桜みたいな何かの残像が見えて、慌てて後ろの方を振り返ったけれどもう見えなくなっていた。こんな北の国の、家すらないような田園風景の中に一人静かに立ち続ける桜がいるとしたら、それはすごく美しいと思った。それはわたしの脳内のイメージだけれど、それでも本当に美しいと思った。

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この日の日記を見返したら、「最近時間が経つのがめちゃくちゃ早いから、気をつけなきゃいけない」と書いてあった。春に気をつけなきゃいけない。

 

4/3(水) 

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午後は授業で、あとは1日糖尿病疑惑に絶望して使い物にならなかった。自分の両方の顔の側面に、ほくろで北斗七星ができることを発見して歓喜していた。

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4/4(木)

念願のハイキューの最新刊をKindleで購入した。最近忙しいのでひと段落ついたご褒美のために取っておいてあるのだけれど、新刊を買っただけで歓喜の舞を踊れるくらい高揚した。

健康のために、バナナとシリアルとヨーグルトを朝ごはんに食べて、お昼ご飯にも夜ご飯にもサラダを食べた。突然のヘルシー生活。バランスよく野菜を摂れるって才能だと思う。放っておくと、一つの食べ物を一週間連続で食べられてしまう人間なので、意識的に満遍なく栄養を取るということが本当に苦手だ。お母さんってすごい。

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上の日記の通り、お兄ちゃんと弟と電話して、根拠がなくすべてが大丈夫な気持ちになった。大学に入学して一人暮らしを始めたばかりの寂しがりやの弟に、お兄ちゃんが「ひとりぼっち〜恐れず〜に〜♪」とふざけて歌っていた。大好きな歌。

ひとりぼっち恐れずに 生きようと夢見てた

さみしさ押し込めて 強い自分を守っていこ

弟はひとりぼっちを恐れた結果、なぜかウィンドウサーフィンサークルに入会しようかと迷走していた。

なんでそんな話になったのか忘れたが、お兄ちゃん直伝の女の子を口説くコツは、女の子は自分より下だと思う人には惹かれないから、相手をディスって下げることで、相対的に自分をあげることらしい。それは良くないよと諌めたら、相手が気にしないような、どうでもいいことをいじるんだと言っていた。たとえば?と聞いたら、「いっち(わたし)と一緒にごはんを食べに行って、いっちの方が食べ終わるのが遅かったら、「いっち牛かよ〜」って言うとか」と言われた。いやなんやねんそれ。

 

4/5(金)

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午後から授業。道中の至るところで花が咲き始めていて、そんなところに花があったのか!これはただの木じゃなかったのか!と、毎日新鮮に驚き続けている。

北欧のアート映画についての講義で、『テルマ』を見た。監督は、あのラース・フォン・トリアーの甥っ子のヨンキム・トリアーで、彼は日本の大ファンらしい。先生が毎週『ハウス・ジャック・ビルト』を異様に勧めてくるのだけれど、人に勧めるものではないのでは感が否めない。わたしは絶対に見ない。怖いので。

テルマ』は、同性愛や宗教、家族、超能力など多様な要素を絡めた、ホラーでありSFでありミステリーで、一度では飲み込めきれないくらいの情報量だった。ホラーというよりは重厚なドラマで、どの観点から見ても興味深い映画。音楽も映像もすごく良くて、アート映画に括られるのも納得だった。めちゃくちゃネタバレですが、冒頭の、少女が殺されそうになる息を呑むような美しい氷の湖が、父と弟二人の死に場所になるという対比と、皮肉にもその二つの画が恐ろしいくらい美しいことに鳥肌がたった。美しさと狂気がいかに一体であるかということを証明した映像。あまりにも美しいものは畏怖さえ感じられ、そして時に狂気には美が宿り、それが『テルマ』であり『ハウス・ジャック・ビルト』なのだと思う。見てないけど。

授業で少しだけ見た『リリア・フォーエバー』が、たった一部しか見ていないのにも関わらず、衝撃だった。めちゃくちゃ可哀想な鬱映画らしいけれど、リリアが走るシーンの映像と音楽の組み合わせが本当に良くて、いつか気力がある時に見てみたいと思う。

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例の男の子に借りていた本を無事に返したのだけど、弾まない世間話のあと、チラッと時計を見て「じゃあ俺この後予定あるから・・・」と無表情で言われ、わたしのセンチメンタルと少しの乙女心が音を立てて割れた。

そういえば、帰り道に寄ったスーパーの自動ドアから二羽の鴨が出てきて、どうしようもなく愛おしくなってしまった。なんだかんだここに来てから初めて作った野菜炒めが美味しくて、野菜炒めと鴨に救われた。

 

4/6(土)

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友達とルイジアナ美術館に行った。ひとりでいるのも好きだけれど、遠くの景色が白く霞んで見える春に、わたし以外の誰かもこの景色が同じように霞んで見えていて、それを一緒に見て美しいと話し合えることが素晴らしいと思った。この世には、わたしの知らない美しい花や季節が無数にあるということが嬉しくも寂しくもある。目を細めて泣きたくなるような季節だ。桜がなくても春は美しいということを知った。

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ルイジアナ美術館は、設計と自然の完璧なバランスの上にひっそりと佇む、夢みたいな場所だ。人生で初めて、海に太陽がチリチリと反射して、星の粉を撒いたみたいに、波が細かくきらめき合う瞬間を見た。おとぎ話みたいな景色に心から興奮して写真を撮りまくったけれど、もちろんカメラには映らなかった。空との境界がない海は、天国なんじゃないかと疑ってしまいそうな儚さで、美しすぎて遠かった。

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美術館内も、白と木を基調とした洗練された空間だ。突然現れる庭の宇宙や、壁一面がガラス張りで、それ自体が一枚の風景画として見える池など、新鮮な小さな驚きに魅せられた。

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Liu Xiadongさんの、グリーンランドに旅した時の絵の特別展示が一番好きだった。絵の具の水墨画。一色と一本で映し出される立体感。壮大な自然の息遣いと、そこに生きる人々の瞬間を鮮やかに描き切っていた。

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草間彌生の常設展示の部屋もあった。一度に入れる人数制限がある。チームラボみたいで驚いたけれど、言われてみれば確かに水玉だ。 

素晴らしい一日の終わりに、アプリ内広告で閉じるボタンを押すつもりが、間違って触ってしまった購入ボタンのせいで勝手に1800円も課金されて泣いた。執念で韓国のアプリ会社のウェブサイトのリクルート用と見られるコンタクトにもAppleにもメールした。

 

4/7(日) 

来週金曜までのレポートに取り掛かり始める。水曜に旅立ってしまうのに1400wordsは書かなければいけないので、全然時間がない。お母さんに電話をかけたら、嬉しそうな声で嬉しかった。

最近の一連の出来事を話して、「お母さんとあなたの心配事の、98%は起こらないから大丈夫だよ」と言われて、大きな悩みも小さな悩みもなんだか全部吹き飛んで、一瞬で浄化された。わたしの心配性は、母に似ている。けれど母は「なるようになるんだから、もう心配はしないことにしたの!」と吹っ切れたように言っていて、力強いなあと感心した。

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ロロの『はなればなれたち』のチケットを無事確保してホクホクしている。

カフェでホットチョコレートを飲んだ後に『風立ちぬ』を見て、ガツンと打ちのめされ、帰り道「すごいなあ・・・すごいなあ・・・」ばかり言って使い物にならず友達に引かれた。本当にいい映画だった。

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どんどん日の暮れが遅くなって、最近は20時すぎまで明るい。この冬は長く暗く厳しいものだった。今思えばちょっと鬱状態でもあって、毎日10時間以上寝ないと体調が悪く、朝は気休めのようにビタミン剤を飲んで、ギリギリの気力で這いつくばっていた。今、美しい花がそこかしこに咲き誇り、空は澄んで、日を追うごとに世界が明るくなっていくことを実感している。明日はもっとたくさんの花が咲いて、日はもう少し長くわたしたちを照らすだろう。明日が今日よりも素晴らしいという確信以上に素晴らしいものがあるだろうか。こんなにも美しい春に出会えてよかった。

風立ちぬ

わたしの住んでいる北欧の片隅の小さな街で、半年以上にわたる宮崎駿の10作品の上映祭が終了した。すべてを見ることはできなかったけれど、そこに出かけるたびに、国境を超えて、字幕でも音声でも一つの作品を一緒に見て一緒に笑い心ふるわせられること、日本の作品が遠くの果てで愛されていることに、何度だってじんとした。

初めて見たのは『天空の城ラピュタ』だった。それまで一度も『ラピュタ』を見たことがなくて、新鮮にジブリの凄さを思い知ったことを覚えている。どうしようもない悔しさを抱えながら走り、そして転んだパズーが、握ったコインをヤケになって投げつけようとして、堪えて、もう一度握りしめて立ち上がり、走り出すシーンにジブリの美しさがすべて詰まっているような気がした。想像の何倍も切なくて影の濃い物語で、これが始まりだったということに打ちのめされた。 

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そして、きのう最終作である『風立ちぬ』を見に行った。当時これが最後の宮崎作品と謳われ、実話を元にしたストーリーということで話題になったが、蓋を開けてみると賛否両論だったことを思い出す。当時見そびれてしまったので、一体どんな物語なのだろうと身構えて出かけた。東京大地震結核療養所、戦争、どれも嘘みたいな本当のことであることに序盤から改めて沈みつつ、それがジブリで、宮崎駿の手で描かれているということに驚いた。これまでファンタジーの中にリアルを映し出してきた彼が、リアルの中にファンタジーを、言い換えれば、夢を投影しながら現実そのものを描こうとした、ということ。

夢は便利だ、どこへでもいける

胸が痛むようなシーンでも、クスクス笑う海外の人がたくさんいて、笑っちゃうような歴史が日本の現実であり過去であり、そして未来でもあるかもしれないんだよな、なんて考えていた。どこへでもいける夢を見ながら、どこへもいけない現実を生きる、ということ。

 

風立ちぬ』、本当によかった。残酷で、そしてどうしようもなく美しい映画だった。違和感を感じる場面もあったけれど、それでもこの映画に流れる周波数はわたしのと同じだった。幸せだった記憶を後から思い出して、やりきれなくて泣きながら微笑むみたいに、映画を見ながらいつかの余韻を追体験していた。菜穂子が東京にやってくるあたりから、もうずっと、涙が止まらなかった。

空に憧れて始まった夢が、命を乗せて瓦礫の中に終わる。風に吹かれて始まった恋が、風の中に消える。世の中も、人間も、皮肉と矛盾でできているという当たり前の事実。それは、強い反戦感情を持ちながら、戦闘機に憧れ続けた宮崎駿という一人の人間の中の矛盾であり、愛する人と共に生きたいと願いながら、結核患者の前で吸う煙草だった。菜穂子の命と煙草を天秤にかけたのではなく、ただ、愛する人と手を繋いだまま煙草を吸いたかったんだろうな。そして、菜穂子はそれを見たかったんだろうな。

僕らは今、一日一日をとても大切に生きているんだよ

一緒に生きたい、という二人の願いは、共に生きる時間の長短ではなく、その密度にあった。何が正しいことで、何が許されるのだとか、そういう世の中の常識とは無関係のところに存在する場所で、二人は手を繋いでいた。

『The Fault in Our Stars』のことを思い出していた。0と1の間には無限の数字がある。ガンと闘う若い二人が、一緒に生きることのできた時間は短かったけれど、数えるだけの日にちの中には、確かに永遠があった。

生きているって、素敵ですね

陳腐な言い方をすれば、この作品は残酷さを描きながら、「生きる」ということをまるごと肯定する物語だ。そして、どんな悲劇が起こっても生きていかなければいけない人間の、本当の話だった。

美しいところだけ、好きな人に見てもらったのね

どこまでがフィクションか、ということとは無関係に、生身の人間の脚色のない愛を、こんなにも真摯に、宮崎駿は描こうとした。そのことにどうしようもなく感動してしまった。

愛という語られ尽くしたテーマを、言葉を伴わない画の細部に散りばめ、命を吹き込む手腕。風が吹いて、恋とともにスカートやパラソルが膨らむ。好きな人の美しさで、髪が輝いて見える。わたし達は、それを目でも耳でもなく感性で理解することができる。そして、最も驚愕し感動したのは、言葉以外の方法で愛を描くことこそが美学だとされるこの時代に、あれほどの画力と表現力を持った宮崎駿が、「大好き」「愛してる」という、手垢のついた時に陳腐にも聞こえる言葉を、ストレートにアニメーションの中で発話させた、ということ。革命だと思った。最後だと決めていた夜に、「大好き」と言って、相手の体全部をしっかりと温められるように布団をかける動作を縁側から映したシーン、あれを愛以外のどんな言葉で呼べようか。この作品は、その言葉と言葉以外のバランスが本当に素晴らしかった。

狂気も夢も罪も愛も、どれもほんの少しのバランスの上で成り立つアンビバレンスで、わたし達はそんな現実に生きている。美しいものはいつだって残酷で、残酷さは皮肉にも美しい。それはどうしたって背中合わせで、対立するものでもなければ、どちらかを選ぶことさえできない。残酷を死に置き換えたっていい。ラストの夢のシーンの、「生きて」「ありがとう」そのたった二言がすべてだった。心の底がふっと舞い上がるみたいな、力強い祈りだった。あの絞り出すような「ありがとう」を、わたしは当分忘れられずにいると思う。風立ちぬ、いざ生きめやも。「ひこうき雲」も、よかったな。

糖尿病の星

わたしは糖尿病かもしれない。そう思ったのは、最近の水の飲み過ぎとトイレの近さが気になって、ネットで検索したのが始まりだった。自己診断チェックなどをやってみると、なんと9割も当てはまっている。若さに甘んじているわけでもないが、好きなものを食べて好きに死にたいなんて思いながらも、病気になるということはわたしにとってまだあくまでも遥か遠くに存在する星の話だった。しかし、いざ自分が病気かもしれないと思うと、じわじわと襲ってくる恐怖。調べれば調べるほど、自分は糖尿病だという確信が深まり、怖いから調べるのはもうやめようと思いつつ、スマホをスクロールする手を止められない。絶対に自分は違うと自信を持てるページを祈るように探すけれど、そんなページはどこにもなくて、どんどん引いていく血の気。

何も手につかずベッドに沈み、ぼーっとしていた。このまま一生何にもしたくないような気持ちだった。けれどそれ以上に小心者なので、授業に出席して、あー今食べ物の授業受けてるのにわたし糖尿病かもしれないんだよなーなんて思いながら、ただ座って、たまにメモを取って、呼吸する塊になっていた。今更ながら、自堕落な生活と自堕落な食生活を後悔していた。好きに食べて好きに死ぬ!なんて言い放っておいて、いざ自分の目の前に病魔の影が見えると、簡単に病魔さんに土下座して法外な価格の健康食品を契約しそうな脆弱な意志だった。これまでわたしが愛してきた焼肉に謝れ。「まさか自分がなるなんて」みたいなインタビューよく見るじゃん、あれじゃん、結局わたしもそうじゃん、嫌だどうしようもっと焼肉食べたかったーーーーと自分を責めながら、突然大声で泣きわめきたいような気がしていた。

スーパーでサラダや野菜や果物を買い漁って家に帰り、やめられないまま自分が病気じゃない証拠を探して必死にパソコンを眺めながら、馬鹿みたいな量のサラダを食べた。スウェーデンの病院や保険についても調べだした。ここまでで4時間が経過。絶望して思い込むまでのスピードが凄まじい。夜になって、外が暗くなればなるほど気持ちも塞いで、なぜだか突然ご飯を作り始めた。玉ねぎを切りながら薄ぼんやりと、ああ大事な人がいなくなったり、突然病気だと宣告されたりした時って、こういう風に、時間が止まったみたいに、ぼやけた視界に焦点が定まらないまま、体だけはなんとなくいつも通りを装って、心は悲しい方にも受け入れる方にも動けずに固まったまま、手だけ動かして立ち尽くしたりするんだろうなーなんて思っていた。わたしはロクに手元も見ずに、なぜだか目にも沁みずに玉ねぎを切りながら、お母さん絶対悲しむだろうな、お母さんより先に死んだら申し訳ないけどお母さんにも先に死んでほしくないなーなんて、そんなことを考えていた。ぼーっとしてご飯を食べて、またパソコンと向き合って、なんだか急に怖くて仕方なくなって、ちょっと泣いちゃった。

どうしても今夜だけは一人が怖くて、三四郎オールナイトニッポンを聞いた。これまでなんとなく聞いたことがなかったけれど、めちゃくちゃに面白くて、北欧の片隅で、深夜に一人、大声で笑ったり涙が滲んだりしていた。三四郎、いいじゃん…。小宮の「笑いで人を救っているという意味では人助けしてるけど」というボケで、うん今救ってる…救ってるよ…と静かに感動さえしていた。怖いけど、向き合おう、強く生きよう、きっと大丈夫だと信じて眠りについた。

 

一晩中寝付けなかったり、悪夢を見たりしたらどうしようなんて思っていたけれど、意外にもそんなことはなくて自分の図太さに呆れたりした。ロロの新作公演のチケットを、自分の優柔不断が災いして買えずに売り切れる夢を見た。それも嬉しくないけど、今日は嬉しかった。まだまだ調べ足りず、知恵袋で自分と同じような悩みを質問している投稿を10タブも開いて、端から見て自分はマシだと安心しようとしていた。人間味が脂ぎっていて我ながら辟易する。けれど、それ以外に安心できる方法を見つけられなかった。そんな中、ネットで平均値を調べ、一日に飲んだ水の量とトイレに行った回数を記録することにした。水を飲むたびに、そしてトイレに行きたくなるたびに、ううやめてくれと願いながら、出来るだけ普段通りに生活し、そして時間が経つにつれて、「あれ…結構平均値に収まりそうじゃない…?」と差し込む光を感じていた。もちろん、それ以外の症状が当てはまっていることには変わりない。しかし、「あれもしかして…いつも通り考えすぎてた?先走りすぎてた?もしかして大丈夫じゃない?」とにやける顔を抑えられない。

一人暮らしが寂しくて仕方ないらしい弟と、仕事帰り東名を走るお兄ちゃんからちょうど電話が来て、何にも気にしていないような口ぶりで「もしかして糖尿病かもしれなくてさ〜」と切り出したところ、間髪入れずにお兄ちゃんに「糖尿病♪糖尿病♪」という即興ソングを歌われた。彼はわたしの悩みなんて御構い無しに車を飛ばし、「俺の膀胱が〜〜!!!!」と叫びながらサービスエリアを目指していた。そのサービスエリアがお洒落だったらしく、「そんなことよりさ」と写真が送られてきた。絶対わたしの糖尿病より綺麗なサービスエリアの方が「そんなこと」だろうと思いながら、その明るさに心底安心している自分がいた。結局、1日計測した結果、思いの外水を飲む量もトイレに行く回数も平均値に収まっていた。安心しすぎるのはよくないと思いつつ、あれなんでそんなこと考え始めたんだっけ?なんて突然の気の緩みのまま一気に記憶まで飛んでいき、なんてことない顔でまた三四郎のラジオを聞き続けていた。短時間であそこまで思いつめた後に、けろっと復活してしまう自分が怖い。

 

しかし、よく喉が渇くのもよくトイレに行くのも事実。原因を考えたところ、思い当たることが一つだけあった。それは、わたしが出っ歯で口が閉じられていないのではないか?ということだ。わたしは元の歯並びが信じられないほど悪く、ありがたいことに中高生の時に両親が歯列矯正を受けさせてくれたが、失敗したのかこれが限界だったのか、上の前歯がまだ少し出てしまっている。あまり気にしていなかったが、口がうまく閉じられないような気もしてきた。そのため、口を閉じているつもりでも少し隙間が空いてしまい、そこから侵入する隙間風が口の中を乾燥させているのではないか、という仮説だ。ありえる。すごくありえる。圧倒的な変わり身の早さでベッドに横たわり、今度は無表情で首を左へ右へと奇妙に振りながら、右手で静かにシャリリリと自分のあらゆる角度から見た口と歯の様子を撮り続けた。脂肪が垂れ下がりいつも以上にのっぺりとした顔と、iphoneに突きつけられる確かな現実に恐れおののきながら、横から下から自分の前歯の状態を確認し続けていた。偉大なる前歯との対話。やはり上の前歯が立派すぎて、下の歯を覆いかぶせてしまっているような気がする。薄々気付いてはいたがやはり受け止められず、自分が糖尿病ではない証拠を探し続けたように、出っ歯に見えない角度を探して、静かに、しかし必死にシャリリリと自撮りを続けていた。

そんな地獄絵図を繰り広げた結果、誠に残念ではあるが、やはりわたしの前歯は少し出ているという調査結果を得た。そしてそれが原因で、口を閉じ切れずに口呼吸をしてしまっているという説は正しいのではないか、と思い始めた。もう矯正はしたくないし、お金も時間もかかる…この先には就活と、きらきら輝く(といいな、と願っている)20代前半の人生があるんだ…という気持ちと、まあちょっと確認はしてみようと、矯正歯科のウェブサイトを見ては、かかる時間と費用に絶望するわたし。昨日も同じようなことをしていたような気がする。この落ち込む速さと、そこから復活してまた落ち込むまでの早さはなんなんだ。

 

そんなことを思いながら自分の横顔の写真を恨みがましく眺めていたところ、ある重大なことに気付いてしまった……

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なんと、わたしの横顔のほくろを繋げると、北斗七星ができるではないか!!!!向きや細かい形は違うが、これは北斗七星と言っても差し支えなかろう!!!!

わたしは興奮していた。仲のいい友達に、深夜にも関わらずこの写真と、北斗七星の参考画像を即座に送りつけた。こじつけというか力技かもしれないが、反対側にも、北斗七星らしきものが伺える!すっ凄い!これから一生、「横顔に二つの北斗七星を持つ女」を名乗って生きていきたい!!北斗(ほくろ)七星の女 Ⅱ だ!!

気付けば、歯並びのことも糖尿病のことも、半分忘れている自分がいた。あと、誤操作でアプリ内課金してしまった1800円への憤怒も少し和らいだ。どれも重要な問題ではあるが、北斗七星の輝きを前にして、力を失った。健康は大事だ。野菜も食べよう。適度な運動もしよう。歯並びのこともちゃんと考えよう。サポート会社に問い合わせもしてみよう。ついでに、帰国したらバランスの良い食事を心がけながら、愛する焼肉に感謝しつつ心ゆくまで食らおう。

しかし、今はこの北斗七星の輝きを見つめていたい。これは世紀の大発見なのだ。

これからの人生、きっといろんなことがあるだろうけれど、こうして小さなことに簡単に絶望したり簡単に狂喜乱舞したりしながら、この北斗七星と共に強く生きていこうと決意した春の日であった。 

よるになったらほしをみる

ひるはいろんなひととはなしをする

そしてきっといちばんすきなものをみつける

みつけたらたいせつにしてしぬまでいきる